下から見れば【耳聡目明】 これを気にして清潔が過ぎると人は寄り付かない
総経理(社長)は地位を利用して、良からぬことに手を染めているのではないか、などという噂が立つことがある。誠に不本意ではあるのだが…
成功のヒント 中国ことわざ・格言
風無くば浪起きず(無風不起浪)
- 中国語:无风不起浪 [ wú fēng bù qǐ làng ]
- 出典:高玉宝
- 意味:風がなければ浪は立たない。噂などが発生するのはそれなりの根拠があることの例え。火のないところに煙は立たない。
寒からずも栗える(不寒而栗)
- 中国語:不寒而栗 [ bù hán ér lì ]
- 出典:司馬遷(史記・酷吏列传)
- 意味:寒くないのに身震いすること。転じて、恐ろしくて身の毛がよだつ、ぞっとする、ことの例え。中国語で「栗」とは「寒い」「震える」の意味もある。
耳聡目明(じそうもくめい)
- 中国語:耳聪目明 [ ěr cōng mù míng ]
- 出典:焦赣(易林・临之需)
- 意味:よく聞こえよく見えること。賢くて優れた洞察力を持つことの例え。
清清白白
- 中国語:清清白白 [ qīng qīng bái bái ]
- 出典:红楼梦(紅楼夢)
- 意味:品行が清潔で汚れがないこと。日本語の清廉潔白と同意。
人をして噴飯令(せし)む(令人噴飯)
- 中国語:令人喷饭 [ lìng rén pēn fàn ]
- 出典:文与可画筼筜谷偃竹记
- 意味:噴飯ものであること。
不即不離(ふそくふり)
- 中国語:不即不离 [ bù jí bù lí ]
- 出典:宋·黄榦(黄勉斋文集)
- 意味:深くかかわらないが、離れすぎもしない。適当な距離を保つこと。付かず離れず。
水至って清ければ則ち魚無し
- 中国語:水至清则无鱼 [ shuǐ zhì qīng zé wú yú ]
- 出典:大戴礼记·子张问入官篇
- 原文:水至清则无鱼,人至察则无徒(水至って清ければ則ち魚無く、人至って察なれば徒無し)
- 意味:水が清らか過ぎると魚みつかなくなり、人は賢明、厳格に過ぎると仲間ができない、との意。水清ければ魚棲まず。
記事:下から見れば【耳聡目明】 これを気にして清潔が過ぎると人は寄り付かない
噴飯もの
社内で妙な噂を耳にした。「〇さんが課長になったそうだが、総経理(社長)は一体いくらもらったのだろうか」と。何じゃ、その「令人噴飯」の噂話!
「風無くば浪起きず」と言われそうですが、心当たりはない、絶対に無い! 一度の昼飯すらご馳走になってないのだから!
良からぬ行為
実は、当時の中国社会は高度経済成長の真っただ中。「お金第一」の、いわゆる拝金主義が社会に漂い、自分の権力や立場を利用して少しでも個人的利益を得ようと、度を越した出来事がいろいろあったようです。
例えば、組織内で役職ランクを上げるからと、その見返りを要求する上司。上げて欲しいがために上司に金品を貢ぐ人、等々巷間話題になっていたのです。
何の根拠もない噂話が社内で流されたことを考えると、世間で言われていたようなことがひょっとしたら行われていたのかも知れないと思うと「不寒而栗」、ゾッとしました。
ちょうどその時期は、業容拡大に伴い社員数も増える一方で、役職者を登用する人事も日常的に必要となっていたのですから…
誤解を招かない立ち位置
それにしても、部下社員からそんな風に見られているのだとわかると、総経理としていい気持ちはしません。が、役職者として自身の行動に注意を払い、自分を律していなければ誤解を招きかねないのも事実です。
とても残念なのは、多くの現地日本企業において本社から派遣された総経理や管理者の中には、出入り業者や取引先との間で癒着し、飲食を伴う接待を受けたり、贈り物やリベートを受け取るなどの悪徳行為を働く不埒な輩が、たまにではあることを耳にすることです。
周囲からはもちろん、下からであっても総経理を見たら、業者べったり、ズブズブの関係はよく見えるのです。部下は三日で上司を見切る、というではありませんか。
総経理としては、業者など利害関係者とは一線を画し、「不即不離」の関係にとどめておくことが賢明というものです。
部下の嗅覚
昨今の日系企業ではコンプライアンスやガバナンスなどが強化拡充され、責任者である総経理自らが、そういった不正を働きにくくしています。ただ中国では、会社トップの悪行に対して、部下社員からの歯止めはなかなか難しいのも現実です。
また、地面に立っている地元社員からは、「雲の上」にいる総経理のことは見えないと思うかもしれません。が、それは致命的な早とちり。
実は、部下は上司のことをとてもよく観察しています。「耳聡目明」であるのです。自分達の上司は何か良くないことをやっているらしいと、瞬時に嗅ぎ取る鋭い嗅覚を持っているのです。
もし、部下が上司である総経理に対してきな臭さを感じれば、それを告発するよりも、「じゃあ俺も…」と。総経理に対する信頼を失うばかりではなく、会社としても一巻の終わりです。
間違えない匙加減
多くの部下社員を率いる総経理は、経営者として相応に「清清白白」であることはもちろんです。
しかしながら、それがあまりにも過ぎると、周囲の皆さんが返って息苦しくなってしまい、結果的には総合力が思うようには発揮されず、運営は上手くいきません。
ある地方の官吏が地元紙に「腐敗が取りざたされる今の時代に、こんな潔白な人はいない。人が来ても一緒に食事することもない」などと、彼の潔白さを称える記事が載ったことがあります。しかし、そんな彼も、普通では買えそうにない高級マンションに住んでいました…
現実社会にあっては「水至って清ければ則ち魚無し」が妥当解であるのです。濁りきっていたのでは論外ですが、あまりにも清らかすぎては人が寄って来ない。
どの程度であれば咎められないのか、総経理たる者はバランス感覚を磨かねばなりませんぞ。結局は自身の匙加減ひとつであるということに他なりません。人の上に立つ者としては、一つひとつが容易ではありませんな。