【但だ人の長久を願う】天空に輝く中秋の名月 情緒が溢れるが地上では…
春節と並んで最も大事な年間行事である中国伝統の中秋節。天空では中秋の名月が輝き、とてもロマンチックです。が、地上ではそうでもない現実が散見されます。
成功のヒント 中国ことわざ・格言
禍心を包み蔵(かく)す
- 中国語:包藏祸心 [ bāo cáng huò xīn ]
- 出典:左傳(·昭公元年)
- 意味:胸に悪だくみを抱いていること。腹に一物有り。
掃地以尽
- 中国語:扫地以尽 [ sǎo dì yǐ jìn ]
- 出典:漢書(魏豹田儋韩信传赞)
- 意味:地面を掃いてすっかりきれいにすること。転じて、面目が地に落ちる、体面、威信がすっかり失われることの意。
但だ人の長久を願う
- 中国語:但愿人长久 [ dàn yuàn rén cháng jiǔ ]
- 出典:蘇軾(水调歌头)
- 意味:蘇武の詩「水調歌頭」の一部。少しでも長く生き、千里へだてた名月を共に眺めようではないか、との意のこもった詩。(著名歌手の王菲や邓丽君=テレサ・テンはこの詩に曲をつけて歌っています)
通情達理
- 中国語:通情达理 [ tōng qíng dá lǐ ]
- 出典:天花才子(后西游记)
- 意味:道理をわきまえ情理にもかなっていること。
記事:【但だ人の長久を願う】天空に輝く中秋の名月 情緒が溢れるが地上では…
中秋節前の会社では
中秋の満月といえば、真丸で欠けているところが無く、「円満・完璧」であることを象徴しています。
中でも、中秋節は別名「団円節」とも呼ばれ、普段は別に住まいしている家族が実家に集まり、円形の食卓を囲んで久々の一家団欒を楽しむ、極めて大事な伝統行事。家族を大切にする中国人にとって、一家円満の喜びを満喫するおめでたい席には、月餅は欠かせません。
そこで、多くの会社では社員とその家族に対して、日頃の感謝の気持ちを込めて月餅を贈ることが習慣となっています。
会社としては、それなりの費用がかかりますが、悠久の歴史を持つ伝統行事の機会に謝意を表すことは「通情達理」の対応であると考えます。
中秋節には
中秋節に月餅を食べる習慣は明代から清代にかけて中国中に広まったそうです。今では年中売られているとはいえ、中秋節の月餅は格別なものということでしょうね。
元々は日持ちのする素朴なお菓子であったのですが、経済成長と共にアワビが入った月餅や高級ワインとセットされた箱入りなど、年々豪華になってきました。そんな高級月餅には送り手側の下心が見え隠れします。
長い歴史の中で続けられてきた中秋節ですが、一面では、大事な人脈への付け届けをする恰好の行事として活用(?)されている現実もあるようです。
ただ、あまりにも高級すぎると「禍の心を包み蔵す」と、勘ぐられてしまいます。腹に一物を持つ相手に足元をすくわれないようにと、返って警戒されてしまいかねません。
近年は、中秋節のひと月以上も前から月餅のプロモーションが始まり、その頃から街では月餅の入った大きな紙袋を持った人がいて、季節感を感じることができます。
月餅でとんでもないことが
お世話になった顧客に月餅を配る、といっても、日本のようにひと箱だけ持って行って「皆さんでどうぞ…」という訳にはいきません。
何せ、中国は個人主義の国ですから、実際には、お世話になった担当者や役職者の方などの個人に、それぞれ一箱から二箱を贈ることになります。
すると、中には「あの人がもらって、何故私には無いのか!」とか、「昨年は貰ったのに今年は無い」など、思ってもいなかったクレームを呼び込む厄介なことになってしまいました。
一箱の月餅が原因で「掃地以尽」、大事な大事な面子が地に落ちたではないか、ということのようです。どのようなシーンでも、心すべきは相手の面子、ということです。
月餅をたくさんもらった方は、それを更に親戚や知人に回し、それをもらった人がまた別の人に回します。頂き物であっても、相手の顔を思い浮かべながら、高級、普通と、ランクを定めて相応の人に回すのです。庶民の生活の知恵とでも言えそうですね。
愛でる名月
月餅を巡るこの世のどろどろを、天空の月に住む兎は何と見るのであろうかは、知る由もありません。
が、遠い昔、蘇軾は「但愿人長久」と詠んでいます。どんなに離れていようと、懐かしい人は同じ美しい月を見ることができる、と。遠く離れて暮らす家族や恋人を想う心がにじみ出ています。このように、浪漫の心が溢れているのが中秋の名月です。
中国での中秋節は、春節と並ぶたいへん重要な日で、国家の祝日になっています。元は名月を愛でながら秋の豊作を祝う伝統行事です。
意のままにならない中国ビジネスですが、少しでも「円満に」推移してくれれば、という願いを込めて中秋の満月を愛でたいと思います。名曲「但愿人長久」を聴きながら…