【窮するもまた楽しみ】中国現地庶民の逞しい生き様を見て思うこと

初夏の労働公園(2017年5月)

 

中国現地での仕事は、まるで格闘技。少しくらい慣れたって、それは何も変わらない。何しろ、自室を一歩出ると、これでもかと中国語のシャワーが降り注いできます。更に、毎日のように遭遇する「何じゃ、これ!」という驚きの出来事。

 

成功のヒント 中国ことわざ・格言

横七竪八

  • 中国語:横七竖八   [ héng qī shù bā ]
  • 出典:水滸全伝
  • 意味:物が乱雑に置かれていて、いささかも規律が無い事。

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窮するもまた楽しみ、通ずるもまた楽しむ

  • 中国語:穷亦乐,通亦乐   [ qióng yì lè, tōng yì lè ]
  • 出典:荘子
  • 意味:「窮」とは逆境、「通」とは順境。「金持ち」と「貧乏」と理解してもよいと思います。昔の有道の人は、逆境にあろうと順境にあろうと人生を楽しんだ。楽しみというのは、逆境だから楽しめない、順境だから楽しめるというものではない、との意。

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恍然大悟(こうぜんだいご)

  • 中国語:恍然大悟   [ huǎng rán dà wù ]
  • 出典:景德传灯录
  • 意味:ちょっとしたことをひらめきから悟りを得ること。ふとした瞬間にはっと理解すること。

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五花八門

  • 中国語:五花八门   [ wǔ huā bā mén ]
  • 出典:虞初新志·孙嘉淦(南游记)
  • 意味:元は古代兵法の陣立ての名称。その後は、種々雑多、多種多様であることの例え。

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愁眉苦臉

  • 中国語:愁眉苦脸   [ chóu méi kǔ liǎn ]
  • 出典:王实甫(西厢记)
  • 意味:憂いに沈んだ顔をする。沈んだ顔をする,浮かぬ顔をする。

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茅塞頓開(ぼうそくとんかい)

  • 中国語:茅塞顿开   [ máo sè dùn kāi ]
  • 出典:孟子(尽心下)
  • 意味:茅で塞がれていたのが突然明るく開ける様子。はたと合点がいく。目からうろこ。

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記事:【窮するもまた楽しみ】中国現地庶民の逞しい生き様を見て思うこと

憂いに沈む金曜日

 日本とは大きく異なる習慣や考え方が、容赦ない波状攻撃を仕掛けてくる。「俺は総経理(社長)だぞ!」と抗ってみても強がりでしかない。

 そんな日々が繰り返され、金曜日の夕刻には一週間終了のゴングが鳴り響く。自室に帰る頃には「愁眉苦」、へとへと状態に。

 そしてようやく土曜日。部屋でゆっくり休養し疲れを和らげることがやっとできる。23階にある自室のソファーに座り、大きな溜息を漏らしつつ目を窓越しに外に向けると、そこは灰色の街。都会である大連市のど真ん中とはいえ、緑は無く景色はくすんでいる。加えて車のフラクションなどの絶えることのない街の騒音が部屋まで入って来る。

 

凄まじいばかりの喧騒

 これでは疲れを癒すどころか、気分も晴れそうにはありません。気が滅入りそうになり、矢も楯もたまらず外に出ることに。

 道路にはタクシーや自家用などのたくさんの車のクラクションや自転車、バイク、行き来する人々で溢れかえっています。目の前の喧騒は「横七竪八」状態そのもの。

 昨今の車の急増に整備が追い付かないのか、駐車場化した歩道の端っこでは、おばちゃんが地べたに座り季節の果物を売っています。通行人に「要不要?」(要りませんか?)とぶっきらぼうに聞いてきます。ところで、このおばさん、「生産直売」と思いきや、実は、近くの市場で陳列用のザルや売り物の果物など一式を仕入れているのだそうな。

 道路の向う側では、若いカップルが大声で口げんかをしています。何が原因か知る由もありませんが、何もこんな賑やかな路上で喧嘩しなくても、と思うのですが…

 

実は色濃い生活感

 23階の窓越しからは無機質な灰色にしか見えませんでしたが、地に足をつけて歩くと色濃い生活感が漂っていることに、はたと気がつきました。「恍然大悟」とはこのことか、実は地元庶民の人間臭さが充満していることに気がつき、ほっとしたことが忘れられません。。

 地下街へ通じる階段を下りると、そこは「勝利広場」といういい響きの名を冠した巨大地下街です。地下街といっても「勝利広場」は、おしゃれなショップが並んでいる訳ではありません。むしろ「五花八門」、小さな無数のお店がひしめき合っている「老百姓(庶民)」の地下街なのです。

 そこそこの面積を占有している店もあれば、壁にへばりついた陳列ケースだけで、店の人も通路にいるような店もあり、とにかく雑多です。

 大きくて、まるで迷路のような複雑な「勝利広場」ですが、何年も通っていると知り合いの店も増え、通路を歩くと「你好(にーはお)」と中国語で声がかかります。

 

視点を変えると気づく

 「勝利広場」を経て再び地上に出るとそこは青泥蛙桥の商業街。大連随一の立派な商業エリアです。更に南に進むと「労働公園」と命名された大きく立派な公園があります。

早朝から現地の高齢者達が元気いっぱいで、太極拳やジョギング、ダンスなど思い思いの運動をしている庶民の憩いの場。

 公園内のハス池の畔では、自分の子供や孫の結婚相手探しのために、釣書のようなものを木の幹に掲示している「婚活コーナー」があります。中国には人はいっぱいいるのになかなか適当な相手が見つからず、親がやきもきしているのでしょうね。

 それにしてもその「公開釣書」には、「うちの娘はとても美人で頭がよくて…」などと書いてあります。よくもまあ恥ずかしげもなく…と思いますが、このあたりにも自己主張の強さが表れているようです。いずこの国でも子を想う親の心は同じということでしょうね。

 外の喧騒とは対照的に、この公園に来ると、ゆっくりと流れる時間の中で、それぞれが自分の境遇に納得しながら、人生を楽しんで生きている姿がみて取れます。皆さんの懐具合はわかりませんが、「窮するもまた楽しみ、通ずるもまた楽しむ」と、懸命に、そして楽しく生きる中国庶民が頼もしくも見えます。

 大連の街のあちらこちらで感じられる庶民の人間臭さ。「茅塞頓開」の気づきと共に、中国現地の会社を大きくさせるために頭をすり減らす疲れを癒してくれるのです。

 仕事で窮することがあっても、くじけずに頭を上げて取り組みたいもの。地べたを歩く目線にこそ仕事に勝利するヒントがあるのです。庶民の逞しさを手本とすべきです。苦しいかもしれないが、仕事は楽しくあらねば!

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