【衣食足れば栄辱を知る】 現実社会ではちょっと疑問に感じるが…
昔の大阪では、知り合いに出会ったときに「儲かりまっか?」と尋ね、「ぼちぼちですわ」と答える。それは商都ならではの挨拶言葉。(最近は聞かなくなりましたが…)中国では「ご飯、食べた?」がちょうどそれに当たります。
成功のヒント 中国ことわざ・格言
衣食足れば栄辱を知る
- 中国語:衣食足而知荣辱 [ yī shí zú ér zhī róng rǔ ]
- 出典:管子(牧民)
- 原文:仓廪实而知礼节,衣食足而知荣辱(倉廩実つれば礼節を知り、衣食足れば栄辱を知る)
- 意味:米蔵がいっぱいになれば、はじめて礼儀や節度わきまえるようになり、衣食の心配がなくなってはじめて名誉を重んじ恥を知るようになる。
褐(かつ)を被(こうむ)り玉を懐(いだ)く
- 中国語:被褐怀玉 [ pī hè huái yù ]
- 出典:老子(德经)
- 意味:「被」はまとう、「褐」は粗末な衣服、「懐」はふところの意。うわべは粗末な服を着ているが、懐には玉を隠している。外面は粗末な着物だが、内面は立派な徳を備えているとの意。
心煩意乱
- 中国語:心烦意乱 [ xīn fán yì luàn ]
- 出典:楚辞(卜居)
- 意味:いらいらとして心が落ち着かないこと。「心煩」とは悩ますことが多く苛立たしいこと。「意乱」とは心が落ち着かないこと。
同憂相救
- 中国語:同忧相救 [ tóng yōu xiāng jiù ]
- 出典:吴越春秋(阖闾内传)
- 意味:苦労している者同士がお互いに助け合うこと。
洋洋得意
- 中国語:洋洋得意 [ yáng yáng dé yì ]
- 出典:史记(管晏列传)
- 意味:鼻息が荒く、得意満々であること。鼻高々。
記事:【衣食足れば栄辱を知る】 現実社会ではちょっと疑問に感じるが…
ストライキの背景
まるで体育館のような広大なフードコート。中華料理はもちろん洋食や日本食まで、様々な料理店のブースがずらりと並んでいます。そこはショッピングモールにあるフードコート、ではなく、ある日系大規模工場の社員食堂なのです。
ここまでやるかと言いたくなるほど充実していて、好きなものを好きなだけ食ってくれと言わんばかり。
「洋洋得意」の体で案内してくれた担当者の説明を聞きながら目を瞠った。
実は、一時期、中国の日系工場でストライキが頻発したことがありました。給料や福利待遇などの条件に不満を抱いた一部の従業員が携帯電話を使って情報を発信、あっという間にストライキの波が連鎖したのです。
一説によると、ストライキが発生した日系企業の共通点は、社員食堂が貧相であったそうな。
そのフードコートのような充実した社員食堂を持つ企業は、ストライキとは無縁であったようです。人の本能にも関わる「食」をケチっていたのでは、結果的には会社の業績に少なからず影響するということです。
独特の挨拶
お昼ごろ顔を合わせた時に、よく使う「吃饭了吗?(ごはん、食べた?)」という挨拶言葉。腹いっぱい食べること自体が幸せであった時代の名残かも知れません。
もし「まだ食べてないんだ」と返事があれば、「何故だい?そんなに忙しいのか?」と相手のことを心配する。また「うん、食べたよ。君は?」等のやり取りは、「同憂相救」、相手を思いやる気持ちから発せられた一言のように響きます。
昔、みんなが貧しかったころのいたわりの気持ちが、現代にも生きているやさしい言葉なのではないでしょうか。食へのこだわりと、お互いに相手を思いやる暖かな気持ちが込められています。
大事な「食」
人は空腹が満たされた時に、心も穏かになります。ですから、営業で売り込みなどの交渉事には昼食後の、お昼一番がよいというのが定説。
昼ご飯の前は空腹で、誰しも「心煩意乱」、イラつき落着かないのは時代を問わず言えるとこです。そんなお腹がすいてイライラしている時にややこしい話を持って行ってもうまくまとまる訳がありません。
飽食の現代にあっても人は空腹感に勝てないということですね。
ということで、人にとっては「食」が充実しているか否かは、中国の現地に進出した日系企業にとっても実は大きな問題なのです。
身に着けるべき
中国の高度成長が始まった2003年頃までは、よく取引先の方々と会食したものですが、経済の発展とともにそのような食事をする機会は目に見えて減って行きました。誘っても「以前と違い、今の時代はいつでも美味しいものを食べることができる。だから食事には満足している。誘ってくれる気持があるなら、食事以外のものにしてくれないか」と遠回しに断られたこともありました。
中国の古典には「衣食足れば栄辱を知る」と有名な言葉が書かれていますが、衣食には心配が無くなった現代社会にあって、さてどうなのでしょうか?
目の前の現実を見ていると、私にはどうも「衣食が足りているかどうか」と「栄辱を知るか否か」は別の問題のように感じます。
部下を持つリーダーとしては、特に「褐(かつ)を被(こうむ)り玉を懐(いだ)く」という言葉を身に着ける事が求められるのではないでしょうか。外面は粗末な風体であっても、内面では高い人格を備えていることが、リーダーの要件なのです。