【一成不変】と【滄海桑田】が同居 コーヒーブレークに思うこと
変化、発展を続ける中国社会。豊かさを謳歌し新しいおしゃれ生活を楽しむ人々はコーヒーショップにも。その一方、いささかも変わっていない部分が現存している。とは言え、油断のないようにしないとその変化スピードについていけそうにない。
成功のヒント 中国ことわざ・格言
一成不変
- 中国語:一成不变 [ yī chéng bù biàn ]
- 出典:礼記(王制)
- 意味:いったん出来上 がると変わらない、定まって動かないこと。
飢えは食を擇ばず(飢不擇食)
- 中国語:饥不择食 [ jī bù zé shí ]
- 出典:五灯会元
- 意味:必要に迫られたときは選択する余裕がないことの例え。空っ腹にまずいものなし。ひもじければ好き嫌いは言っていられない。
雨後春笋(うごしゅんじゅん)
- 中国語:雨后春笋 [ yǔ hòu chūn sǔn ]
- 出典:食笋
- 意味:春に大雨の後、筍が続々と生えること。似たようなことが次々と現れることの例え。雨後の筍。
讃嘆已まず
- 中国語:赞叹不已 [ zàn tàn bù yǐ ]
- 出典:儒林外史
- 意味:賛嘆してやまないこと。
滄海桑田(そうかいそうでん)
- 中国語:沧海桑田 [ cāng hǎi sāng tián ]
- 出典:神仙传·麻姑
- 意味:大海が桑畑に(或いは桑畑が大海に)変わった。世の中の変化が激しいことの例え。
記事:【一成不変】と【滄海桑田】が同居 コーヒーブレークに思うこと
高い苦い
今や、中国の都会にはどこにでもあるコーヒーショップ。満席のことも珍しくないほどの繁盛ぶり。
席でパソコンやスマホをいじっている人、仕事をしているように見えることも。もちろん友達同士でおしゃべりに興じている人たちも。それぞれがテーブルでコーヒーを楽しんでいる。
そんな光景を見かけるようになったのは2010年が近づいた頃のことで、1998年ごろの上海では、コーヒーを飲みたければ、ホテルのロビーへ行かなければなりませんでした。そもそも、街中に喫茶店やコーヒーショップというものが無かったのですから。
しかし、ホテルのコーヒーはというと、恐ろしく苦く濃い。しかも値段が高い。如何にサービス料が含まれているとはいえ、である。良いところなしの飲めたものではないコーヒーであったのですが、「飢えは食を擇ばず」、ちょくちょく珈琲を楽しんだものです。
爆増するコーヒーショップ
そんな中国での「コーヒー事情」は、99年に米国からコーヒーチェーン店が北京に進出して一変することになる。上海や大連をはじめ、あっという間に続々と出店。
それまでは中国茶を出す「茶館」しかなかったが、買い物に行って「ちょっとコーヒーでも…」という時代が訪れたのです。
コーヒー店が流行りだすと、黙って見過ごすことはしないのが中国人。「似たよう」なコーヒーショップが、まるで「雨後春笋」の如くに出現することになりました。
中には、どう見てもパクリだろうと言えるショップも。「STARBOX」などのロゴを見ると、クスッと笑いたくなりますよね。
様変わりした珈琲事情
2000年を過ぎたころから大連でも店舗展開が始まりました。
最初は、閑古鳥が鳴くような状態で、しかも一杯のコーヒー代は、当時の昼食代の数回分にも相当する価格帯。
経営は成り立っているのかと、他人事ながら心配をしたものですが、あれよあれよという間に若者を中心に人気スポットに。いつ行っても混雑していて空席を探すのに苦労するほどの状況になるまで、多くの時間はかからなかったようです。
元来、中国には無かった珈琲文化ですが、かくも短時日に「滄海桑田」、一気に変わってしまったことは驚きの現象でした。まさに、隔世の感、様変わりです。
一気に広がった
経済成長と共に人々の可処分所得は増加し、庶民にとって値段が高いと思われていた珈琲も手の届く範囲になってきたのでありましょう。
何より、席に座りコーヒーを飲みながらゆったりとしたひと時を過ごすことの満足感に、豊かさやある種のステータスを感じたのかもしれません。
とにかく、中国の変化の速さには「讃嘆已まず」を通り越えて、舌を巻くばかりです。
しかし一方で
お店の様子を観察すると、席で周囲に遠慮することなく電話をしている人は珍しく有りません。また、屋外のテラス席に座っているのはどうもお客ではなさそう。飲み物を注文している様子もなく、ただ座って煙草をふかしています。テーブルの上には「消费区」との表示があるのですが、無料休憩所の如き振る舞い…
コーヒーショップでひと時の時間を過ごす、そんな現代的おしゃれ感は、以前とは極めて大きな違いがありますが、根っこのところは「一成不変」。いささかも変わっていないようです。
コーヒーショップに入り、やっと見つけた空席に坐って、以前の苦く濃いだけの珈琲ではなく、慣れ親しんだ美味しい珈琲を飲みながら、感心することしきり…