【難に臨んでは苟も免れんとするなかれ】当事者としての強い意識が無いと…
あれやこれやを考え抜いて、正しいと判断したならば、自分を信じて実行する。勿論その勇気が必要です。その堅い決意が、自らのミッションを成功に近づけるのだと確信したいものです。
成功のヒント 中国ことわざ・格言
孤軍奮戦
- 中国語:孤军奋战 [ gū jūn fèn zhàn ]
- 出典:魏書(赵瑕传)
- 意味:援軍が無い状況下で、単独で奮戦すること。転じてひとりで難事業に立ち向かって努力すること。
徳は孤ならず、必ず隣あり
- 中国語:德不孤,必有邻 [ dé bù gū, bì yǒu lín ]
- 出典:論語
- 意味:徳を備えた人は孤立するようなことはない。必ず親しい仲間(理解者)が現れる。
拖泥帯水
- 中国語:拖泥带水 [ tuō ní dài shuǐ ]
- 出典:碧岩录
- 意味:だらだらとして煮え切らないこと。てきぱきとしていないこと。
難に臨んでは苟(いやしく)も免れんとするなかれ
- 中国語:临难苟免 [ lín nàn gǒu miǎn ]
- 出典:礼记(曲礼上)
- 意味:自分が正しいと信じて進んだ道は、前途にどんな困難が待ち構えていても、避けて通ってはならない、との意。
啃老族(こうろうぞく)
- 中国語:啃老族 [ Kěn lǎo zú ]
- 意味:体は大きくなったが大人ではない人。そういう人達。中国の若年層の類型のひとつ。成人しても年老いた親に経済的に依存している人達のこと。すねかじり。
記事:【難に臨んでは苟も免れんとするなかれ】当事者としての強い意識が無いと…
現地会社は不肖の子?
いつまでも本社を頼る子会社であってはならない。「啃老族」のような状態を脱して、自分の食い扶持くらいは自分で稼げ。本社がそう言うのも無理はない。
現地会社が設立された1993年からの、言わば立ち上げ時期は、連日のように合弁ビジネスパートナーや当局関係者などとの宴席が設けられていたようです。飲めや歌えの大騒ぎ、と言えば卑近に過ぎるかもしれませんが…
人治の環境下で、合弁ビジネスを早く軌道に乗せなければ、との思いであったのだろうと思います。
日本から派遣された総経理(社長)は、会社の代表者としてそれらの宴席に参加せざるを得ません。しかし、いつの間にかそれが常態化し、本社の方では「利益も出ていないのに本社の金ばかり使って飲み食いをして…」と。
援軍も無い
それでも、設立から5年も経過すると、一往は会社としての体裁はできてきました。まだ利益は出てはいませんが、いよいよプロフィットセンターのひとつとして、黒字化を目指す時期になってきたのです。
その頃、赴任することになった総経理に対して本社は、「ゴルフとカラオケの時代は終わった。これからはしっかりと仕事をして業績を上げるように!」との檄を飛ばすことになった。
それにしても、本気で中国市場の開拓をやろうとすれば、様々な問題や課題が浮かび上がってきます。そのいずれもが初めて経験することばかりで身近に相談相手もなく、遠く離れた日本本社に何度話しても、「拖泥帯水」、理解が得られず檄を飛ばすだけで援軍を出すわけでも無し。現地に派遣された責任者は目の前の現実と日本本社との間で、それこそ「孤軍奮戦」の毎日。時には押しつぶされそうになることも。
協力者の出現
松下幸之助翁は、自らが成功した理由を「学歴が無かった」「貧しかった」「病弱だった」と。普通はどれも「成功できなかった理由」に挙げそうなことばかりです。その分、大変な苦闘があったのだろうと思います。しかし「苦闘の中にも、常に喜びや希望があった」とも語っています。
どうせなら、翁に倣って、経験がなかった、知識がなかった、援軍が無かった等々、うまくいかなかったときの理由にするのではなく、いくつものハンディがあったからこそ、うまくいったといえるようにしたいものです。
「徳は孤ならず、必ず隣あり」という言葉があるように、初めての中国ではあっても総経理自身が、懸命にそして真摯に努力している姿は周囲に伝わり、いずれ協力者や理解者が現れるに違いありません。
成否は自身に
日本の考え方や中国現地の習慣に対応するために2種類の物差しを使い、あれやこれやを考え抜いて、正しいと判断したならば、例え日本の考え方とは違っていても、自分を信じ実行する勇気が必要です。
中国ビジネスを成功に導く「道」を切り開くのは、現地に駐在して采配を振るう総経理にしかできないことです。もちろん容易ではありませんが、苦労の中にある喜びや希望を決して見失わないことです。
最も尊重すべきは「難に臨んでは苟(いやしく)も免れんとするなかれ」との言葉です。問題を避けたり逃げたりしてはならないというのです。
自身の中国ビジネスの目標達成のためには、カラオケやゴルフ三昧にのめりこまず、仕事に打ち込む中で、孤軍奮戦を楽しむのがよい。大変な環境の中で、思いもしなかったことを、「成長の因」にするのも「後退の因」にするのも全て自身の心の強さ次第ということなのでしょうね。