【凡才浅識】の人にも勝機あり それは自分次第なのだ
ある時、社員達と雑談中、「何でうちの給料はこんなに安いのか…」と。同じビルに入っている他の日系企業と比べたら一番低いというのです。総経理(社長)がいる所でよくそんなことが言えたものだ…
成功のヒント 中国ことわざ・格言
一心一意
- 中国語:一心一意 [ yī xīn yī yì ]
- 出典:三国志(魏志·杜恕传)
- 意味:他の考えは無く、ひたすら。心の底からの思い。
隔牆(しょう)耳有り
- 中国語:隔墙有耳 [ gé qiáng yǒu ěr ]
- 出典:管子(君臣下)
- 意味:壁が有っても盗み聞きする人がいる、との意。壁に耳あり。「隔墙」とは隔壁、仕切りのこと。
徳を恃む者は昌(さか)え、力を恃む者は亡ぶ
- 中国語:恃德者昌,恃力者亡 [ shì dé zhě chāng,shì lì zhě wáng ]
- 出典:史記(商君列传)
- 意味:徳によって立つ者は栄え、力を恃む者は亡びる。
日久天長
- 中国語:日久天长 [ rì jiǔ tiān cháng ]
- 出典:紅楼夢
- 意味:長い年月が経つこと。月日が経つにつれて。
凡才浅識
- 中国語:凡才浅识 [ fán cái qiǎn shí ]
- 出典:清・陈用光(上翁学士书)
- 意味:才能は凡庸で、見識は浅薄であること。
記事:【凡才浅識】の人にも勝機あり それは自分次第なのだ
情報源は給湯室
ビルの各フロアにある共用の給湯室では、時間無指定の井戸端会議が行われている。
SNSが発達しているとは言え、基本は口コミの社会。日々、給湯室では他の会社の社員との情報交換がなされています。さらにオフタイムには、友人たちとの食事など情報交換の機会はいくらでもあるようです。
「隔牆有耳」とは言うが、壁などあってないようなもの。
噂話レベルも含めて様々な情報を、社員達は持っている。「うちの総経理(社長)はケチで…」というようなぼやき、またある時は自社のボスの自慢など、彼らの本音が飛び交っていることと思います。居酒屋で愚痴をこぼす日本国内のサラリーマンと同じですね。
薄っぺらだと三日
総経理の立場というのは、現地社員にとっては首根っこを押さえられている人であり、雲の上の人です。そのボスのもとで明るい将来を感じられるのか、観察し同僚たちと情報交換しているのです。ですから、自分たちのリーダーはどういう人なのか彼らには手に取るようにわかるはずです。
日本から総経理として派遣されて着任したそのときから、現地社員達の目に晒されているのです。
本社に早く帰りたいばかりで、その場しのぎで仕事をする人。せっかく異国の中国に来たのだからと、羽を伸ばし夜な夜な街に繰り出す人。もしもそんな振舞をしていたのなら、現地の社員にとっては自分たちのボスがこんな程度の人間かとすぐに見破られてしまいます。
「凡才浅識」な総経理の薄っぺら加減は、部下からは三日もあればわかるそうですよ。
リーダーである総経理は社員の前では威厳を保ち、自分ではうまく取り繕っているつもりかもしれませんが、日々の仕事や生きざまに心根が現れます。そこを現地社員は敏感に感じとるのです。ああ怖っ…
栄える人と亡ぶ人
一方で、「この地に骨を埋めよう」、「現地に貢献しよう」などと、固い決意をもって臨んでいる人も多くいます。実際には永住するわけでは無いのでしょうが、少なくともそういう心意気で取り組んでいるということでしょう。どう見てもこのタイプに人の方が現地社員からは尊敬され、信頼され、後々業績に好影響が出てくるはずです。その結果、優れた実績を残した優秀なリーダーであったと賞賛されるに違いありません。
また、「徳を恃む者は昌え、力を恃む者は亡ぶ」とあるように、すばらしい経歴や能力があったとしても、総経理だからといって、ふんぞり返り威張っていると誰からも尊敬されることはなく、いずれ運営の破たんを招くことになります。
また、自分の上司には媚び諂い、失敗を恐れるあまり従前を踏襲することしかしない総経理。都合のよい報告を本社に上げることにのみ関心を示し、何かあると部下に責任を押し付け自分では決して泥をかぶらない。こんな人も同じですよね。
ゴール無き自分磨き
総経理の仕事は会社を大きく発展させることですが、それは自分一人だけではできるわけでなく、社員の仲間やユーザーの皆さんに支えられて初めて可能になることです。まして、外国人である日本人が総経理の場合はなおさら。
そのために必要なのはその人の能力と人間性だといえます。中でも、大事であり優先するべきは能力よりも人間性であると私は考えます。
中国古典の菜根譚には「徳は事業の基なり」とあり、「徳」や「人間性」という基礎ががっちりとしていれば、その上の建物も堅固となり、自身の能力が発揮されるというもの。
頭では理解できますが、人徳や人間性を磨くことは、「日久天長」をかけて行う、ゴールの無い永遠の課題なのです。
ひたすらの努力が
では、十分なものを身につけたうえで赴任したわけではなく、突然本社から中国に派遣された総経理本人は、一体どうすればよいのでしょうか。
インド独立の父と呼ばれているマハトマ・ガンジーは「喜びとは、勝利それ自体にではなく、途中の戦い、努力、苦闘の中にある」と。結果よりもそのプロセスにこそ喜びがあると言っています。
江戸時代初期の武将、真田信繁(幸村)は「夢をつかんだ奴より、夢を追っている奴の方が、時に力を発揮する」と。
また、「勝利を誇る姿…それも美しい。しかし、それ以上に美しく、気高いのは “さあ、戦うぞ! いよいよこれからだという挑戦の姿であろう」とは、我が師の言葉。
共通しているのは「結果よりも、その途上での努力、がんばり」が大切であるということ。つまり「徳」を身につけると言っても、そもそもゴールは無いのだけれども、ゴールに向かって「一心一意」の努力している、自己を高める不断の努力をしていることに輝きを放ち、人は魅力として感じるのではないでしょうか。
そうであるなら、未完成の凡人ボスであっても、社員達を始め周囲から尊敬され信頼を得ることができそうです。