【岐路亡羊】の過ちを防ぐヒント 大連の街でしか見えないものが有る
日本とは海を挟んだだけの隣国。大連までは、空路2時間余です。例えば、中国ビジネスをどのように展開するか、という課題に対して、大連の街で思いっ切り考えるのが妥当解を得やすい。その理由とは…
成功のヒント 中国ことわざ・格言
胡馬は北風に依る
- 中国語:胡马依北风 [ hú mǎ yī běi fēng ]
- 出典:古诗十九首
- 原文:胡马依北风,越鸟巢南枝
- 意味:胡馬とは北方の胡の地で生まれた馬。北方生まれの馬は北風に身を寄せ、南方から来た鳥は南向きの枝に巣を作る。故郷というのは忘れがたいことの意。
称心快意
- 中国語:称心快意 [ chèn xīn kuài yì ]
- 出典:初刻拍案惊奇
- 意味:気に入り爽快で心地よいこと。
前事忘れざるは後事の師
- 中国語:前事不忘,后事之师 [ qián shì bú wàng,hòu shì zhī shī ]
- 出典:戦国策(赵策一)
- 意味:過去のことを教訓にし、将来の手本にする、との意。
千思万慮
- 中国語:千思万虑 [ qiān sī wàn lǜ ]
- 出典:刘禹锡(将赴汝州途出浚下留辞李相公)
- 意味:あれこれ考えて思いをめぐらすこと。
大道は多岐を以て羊を亡う(岐路亡羊)
- 中国語:歧路亡羊 [ qí lù wáng yáng ]
- 出典:列子(说符)
- 原文:大道以多歧亡羊
- 意味:別れ道が多すぎて逃げた羊を追跡できず失う。状況が複雑で、進むべ方向を見失うことの例え。進路や方針が多すぎて何を選ぶべきかわからなくなること。
故きを温ねて新しきを知る(温故知新)
- 中国語:温故而知新 [ wēn gù ér zhī xīn ]
- 出典:論語(為政)
- 原文:温故而知新,可以为师矣(故きを温ねて新しきを知らば、以て師為るべし)
- 意味:先人の教えを考え、そこから新しいことを発見できるようになれば、人の師と成れる、との意。古い事柄を探究することによって、現代に生きる新しい価値を見つけ出すこと。
眼で見るを実と為す(眼見為実)
- 中国語:眼见为实,耳听为虚 [ yǎn jiàn wéi shí,ěr tīng wéi xū ]
- 出典:説苑(政理)
- 意味:目で見たものは確かである、耳で聞いたことは当てにならない。
記事:「岐路亡羊」の過ちを防ぐヒント 大連の街でしか見えないものが有る
故郷を思わせる
大連は、中国沿海部の都市で、東北地方随一の港湾、工業、観光都市です。市街地人口は約350万、広域市域人口は約600万を抱える、中国の東北地方の中で最も発展している都市であると言えます。
日本とは海を挟んだだけの隣国。空路2時間余ですが、体制も価値観も大きく異なる異国の地です。
しかし、大連の街を歩き佇むと、他の街には無い微かな匂いを感じることができます。「胡馬は北風に依る」と、まるで故郷を思わせる空気がある。そして、大連でしか見えないものが…
現場でないと
溢れかえるほどの車の中を窮屈そうに走る「有轨电车(路面電車)」。いわゆるチンチン電車です。LRT風のスマートな車体のもありますが、大連の街には何と言ってもレトロなチンチン電車が似合います。キーキーと鳴るブレーキ音や木製の座席など、乗り心地は決して良くありませんが、何とも言えない安心感があります。社内にはこの路面電車の歴史がわかるモノクロ写真が飾られています。
大連の路面電車の歴史は、1909年9月に一部が開通したのが始まり。既に100年を超えた歴史を誇ります。
その後、1946年4月1日からは大連市の経営となりました。古いものはすぐ壊してしまう国ですが、100年も経った今も現役で走っているのを見ると感動します。
それに、大連の路面電車、運転手さんも車掌さんもほとんどが女性です。ご多分に漏れず不愛想なのですが、それでも、冬の季節に手すりなどを握って冷たくないようにと、毛糸のカバーをつけたりする心配りをしている車両もあります。
「眼見為実」と、実際に遍場に入らないとわからないことが多くあります。チンチン電車のちょっとした心遣いも乗ってみないと、それも寒い冬でないとわかりません。
その昔、日本人が作ったモダンな街並みを、日本人が敷いた線路の上を路面電車が走っていく。そんな姿を見られるのは、中国広しと言ってもここ、大連だけです。詩情が掻き立てられます。
巨大は爽快
星海広場の広さは東京ドーム約23個分、また、北京の天安門広場の約4倍。外周は2.5キロにも及びます。巨大な広場ですが、ただ広いだけじゃないか、と言った人がいました。ちょっと待て、その広いことがポイントなのです。
星海広場の周囲は、海に面している部分以外は、タワーマンションが林立しています。青空のもと、ここに立つと、「称心快意」は間違いないところ。
星海広場の中心部には大連市制100周年を記念した、「百年城雕」と呼ばれる彫刻があります。海に向かって長さ100m、幅50メートルと、彫刻もデカい。
こんな大きな広場が必要なのかと思わなくはありませんが、それが中国。どうせやるなら、大きく、広く、高くがよい。
郷愁溢れる
20年以上も前、大連港から煙台行のジェット船に乗船した経験があります。その時に初めて大連港へ。当時は、旅客ターミナルからバスで乗船場まで移動していました。そんな思い出の大連港。
1905年、日露講和条約により日本の租借地となり、1945年8月、ソ連が接収、その後中国に引き渡され、1960年には対外開放港となりました。今では、中国東北部最大規模の堂々とした国際貿易港です。
そんな歴史の中でも辛いことに、1946年12月~1947年3月、大連港より20万人余の日本人の引き揚げが大連港から行われたそうです。
「前事忘れざるは後事の師」との格言のとおり、辛い経験をしっかりと肝に銘じておけば、将来の進歩も期待できるというものです。
新スポット
路面電車や中山広場の歴史建造物の他にも路地裏を歩くと古い建物があり、街のそこここに微かな日本の匂いも感じさせ、どことなく懐かしさを感じるのが大連の街です。そんな雰囲気の街に新しいスポットも出現しています。
東港ベニス水城は、地元デベロッパーが80億元かけて作った約44万m2のウォーターシティ。水の都ベニスを彷彿させる雰囲気で、ライトアップされた夜景もすばらしく、恰好のデートスポットです。
「故きを温ねて新しきを知る」のように、ノスタルジックな大連の街ではありますが、新しい価値も併せ持つ街でもあるのです。
大連でしか見えない
例えば上海市の常住人口は約2500万人。この巨大マーケットでは何をやっても儲かりそうな気がします。しかし、しっかりとした戦力も持たず、落とし穴に落っこちて、描いた夢が妄想で終わってしまうことも少なくないようです。
「大道は多岐を以て羊を亡う」という言葉にあるように、あまりにも規模が大きすぎて、進むべ方向を見失う危険性を孕んでいるのが上海。上海では人や物が押し寄せ、人の判断を狂わせてしまうことがあるのです。
一方で、いわばローカル都市でしかない大連ですが、街を歩けばわかるように、よく熟れた街であり、同時に落ち着いた街でもあるのです。
つまり、中国ビジネスを如何に発展させるか、「千思万慮」を実行するには、ちょうどよいのです。その結果、成功のツボがいくつか見えてくると思います。そして、此処での成功は他エリアへ開拓への足がかりと成り得ることでしょう。
大連には、中国法人の本社を置く著名日系企業がいくつかありますが、その見識の広さに敬服以外の何物もありません。中国のスタンダードは、突出した上海や北京ではなく大連にある、ということです。