地理的には日中間はとても近い。例えば関空や成田から航空機で2~3時間で、四千年にも及ぶ悠久の歴史をもつ中国に着く。日本とは遣隋使(西暦600年)のころから千年以上の関わりがあります。そんな隣国・中国ですが…

日中関係は紆余曲折

 近年においては新中国が建国された1949年以降も日本・中国の国交はありませんでした。そんな中で1968年、創価学会池田会長(当時)が日中国交正常化提言を発表、その4年後、日中共同宣言が調印され国交が回復し、さらに1978年には日中平和友好条約が調印されました。

 さて、国交回復後の日中関係は順風満帆(中国語では「一帆风顺」)であったかと言えば、まったくそうではなかったようです。良くなったかと思えばまた逆戻り、ずっとその繰り返しでしたが、日中平和条約締結40周年となる2018年には劇的な変化がありました。その年に、両国首脳の相互訪問が再開され、「日中の新たな時代に向け、競争から協調へ」との合意がなされたのです。

 私が中国に赴任したのは、日中平和友好条約が締結された20年後のこと。中国ビジネスの現場や生活のなかで、ギクシャクした両国間の関係を肌で感じてきた私としては、如何に40周年の佳節とは言え、まるで蜜月のような日中の歩み寄りに、驚き、喜びとともに一抹の不安がよぎります。

 ただ、私が肌で感じた過去のぎくしゃく感は、いずれも政治主導によるものです。今後、再びそれが繰り返されたとしても、民間レベルの交流やビジネス面で揺るぎがあってはならないと強く思います。そのために、民間人は如何になすべきか、を自分のスタンスとして確立しておくことが大事だと確信します。

ちっとも近くない一衣帯水

 地理的にはとても近い日中間は、一衣帯水の関係とよく言われます。「衣帯」とは一筋の帯のように細長く続く狭い川のことを意味します。

 そう言われると向こう岸が見える程度の川をイメージしますが、実はこの言葉の語源になっているのは「長江」で、川幅は20キロ、長さ6300キロという途方もなく大きな川のことをいっています。

 上海の郊外から長江をフェリーで向こう岸の南通市まで行ったことがあります。向こう岸と言ってもはるか向こうで霞んで見えませんし、船上から見る沈む夕陽の感覚は川ではなくどう見ても海です。

 実は、一衣帯水と言っても、向こう側とこちら側では大きな隔たりがあり、価値観などが違っていても当たり前。一衣帯水だからこそ、お隣さんとの付き合いは容易ではないということです。

大連労働公園(2019/05)

成功要因は

 中国とは何の縁もない私が中国に赴任したのは、1992年の「南巡講話」によって改革開放政策が加速され、やがて「世界の工場」と呼ばれ、ものすごい高度成長期がまさに始まろうとしているときでした。以来、上海、大連と約15年にわたって、現地子会社の総経理(社長)として駐在勤務を行い、仕事現場や生活現場で“実際”の中国を体で感じてきました。

 揺れ動き、きしむ日本と中国の関係に加えて何もかもが異なる環境の中で、任された現地法人の経営を成功させるため、様々な試行錯誤や失敗を重ね必死の努力を続けました。その結果、日中双方の「違い」という高い壁を乗り越え、現地に根を張り業績を大きく伸ばし、事業として大成功に導くことが出来ました。

 成功要因の基本が「自他共に」という考え方です。相手の足元を照らしてあげたら、結果として自分の足元も明るくなる、という思想です。それは、社員や取引先顧客、政府機関など対して、また、生活するうえで自分の周辺のすべてに、自分と相手の両者が利するためにはどうすればよいか、ということを必死で考える。

つまり“ウィンウィン(中国語では「双赢」)”の関係を築くことだと思います。儲かることを考えるだけでなく、様々なシーンで相手を思い思慮をめぐらすということです。価値観や習慣の違いを認め、融合させることに他なりません。

自分を磨き高める努力

 外国人である日本人が異国の地で成功するためには、経営能力やマネジメント力だけではなく、「人間力」が不可欠です。そのために、常に自分を磨き高めていく不断の努力が求められます。そうすれば必ず現地の人たちから尊敬されるようになり、成功への展望が開けます。

 とにかく、途方もなく、そして圧倒的な歴史をもって現代を生きる中国。今後もおそらくは両国の関係はよくなったり悪くなったりを繰り返すであろうと思います。国同士の関係の良し悪しにはできるだけ影響されずに、安定したビジネス展開を行い「成功」を見出すことを切に望みます。

 約15年間にわたる中国のビジネス現場で実際に体験した、成功のツボを、中国のことわざ、格言を通して読み解いていきたいと思います。

作者プロフィール

曽賀善雄(そが よしお)

1949年生まれ。1971年大手セキュリティサービス会社に入社。主として関西地区で営業及びマネジメントを27年間経験。

1998年6月から2000年3月まで中国・上海のグループ現地法人の総経理(社長)として勤務。その後2000年4月から2012年12月末まで12年半にわたり中国・大連の現法で総経理(社長)として勤務。2013年1月に63歳で帰国。その後、本社勤務を経て2014年7月リタイア。自身の座右の銘は「理解・納得・共感」

 

▮HSK6級スコア192を保有

※HSKは中国国家漢語国際推進事務室が主催し中国政府教育部が公認する中国語検定で、6級はHSKの最上級試験です。

成功のヒント 中国のことわざ・格言

一帆风顺 / 順風満帆

◆中国語:一帆风顺   [ yī fān fēng shun ]

◆日本語表記:一帆風順

◆出典:清·李渔《怜香伴·僦居》

◆意味:すべてのことが何の障害もなくうまく運んでいること。

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一衣带水 / 一衣帯水(いち いたい すい)

◆中国語:一衣带水  [ yī yī dài shuǐ ]

◆日本語読み:「いち、いたい、すい」

◆出典:南史·陈纪下

◆意味:細い帯のように、長く狭い川や海峡のこと。二つのものがきわめて近いことの例え。

◆陳の国の王は酒色におぼれることがひどく、民は生活に苦しんでいた。それを見た隋の文帝が「私は人民の父母である。帯の様な一本の川(長江)の隔たりがあるというだけで、どうして彼らを救わずにいようか。」と言って陳の国を討伐した。(一衣帯水という言葉には皮の向こう側の相手を滅ぼすというところが語源になっている?)

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双赢 / ウィンウィン

◆中国語:双赢   [ shuāng yíng ]

◆マーケティング用語

◆中国における兎と亀の競争の故事。

 兎と亀の第一回目の競争。兎は慢心を起こして途中で寝てしまい、亀が勝ちました。競争後、兎は納得できず、二回目の競争をすることになりました。兎は一回目の経験を教訓として、寝ないで一気にゴールまで走り抜け、今度は兎が勝ちました。すると負けた亀が納得せず、三回目の競争をしようと言い出しました。そして、亀は「前の二回は兎が競争コースを決めたのだから、三回目は僕が決める!」と言いました。兎は、どう見ても亀より早く走れるのだから、亀が決めたらいいと考えた。

 ということで三回目は、亀が決めたコースで競争することになった。またも兎が前を走り、ゴールが近づいたとき、川に行く手を阻まれました。兎は川を渡ることができません。亀はゆっくりと進み川を泳いでわたり、またもや勝ちした。

 彼らは「こんなことをいつまでやるのか。我々は互いに長所を補い合って合作しよう」と言った。そこで、陸上では兎が亀を背負って走り、川では亀が兎を背負って泳ぐ。そして同時にゴールする。ウィンウィンという結果だ。現代のマーケットでは必要なことです。

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南巡讲话 / 南巡講話

南巡講話(なんじゅんこうわ)とは、鄧小平が1992年1月から2月にかけて武漢、深圳、珠海、上海などを視察し、重要な声明を発表した一連の行動を言います。(ことわざではありません)

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