【傲然挺立】中山広場の堂々たる歴史的建造物 凛として雄大
大連市中山区にある直径約200mの円形広場。広場を周回するロータリーに接続される10本の道路が放射状に伸びています。広場の真ん中に立ち、周囲に建ち並ぶ歴史を感じさせる建築物は実に壮観。
成功のヒント 中国ことわざ・格言
怡然自楽
- 中国語:怡然自乐 [ yí rán zì lè ]
- 出典:列子(皇帝)
- 意味:楽しく満足することを形容した言葉。
外強中乾(がいきょうちゅうかん)
- 中国語:外强中干 [ wài qiáng zhōng gān ]
- 出典:左傳(僖公十五年)
- 意味:外面は強そうであるが、内実は空っぽで脆いこと。見かけ倒し。見かけは強そうだが実際にはもろいこと。
傲然挺立
- 中国語:傲然挺立 [ ào rán tǐng lì ]
- 出典:白杨礼赞
- 意味:堂々として屈せず、直立し動じないこと。
心志は奪い難し(心志難奪)
- 中国語:心志难夺 [ xīn zhì nán duó ]
- 出典:論語
- 意味:「心志」とは志のこと。意志は奪い難い。意志が堅いことの例え。
記事:【傲然挺立】堂々たる中山広場の歴史的建造物 凛として雄大
❶ 旧 朝鮮銀行大連支店 | ➋ 旧 大連民政署/大連警察署 | ➌ 大連金融大廈 |
➍ 旧大和ホテル | ➎ 旧 大連市役所 | ➏ 旧 東洋拓殖大連支店 |
➐ 旧 清国大清銀行 | ➑ 大連人民文化倶楽部 | ➒ 旧 横浜正金銀行大連支店 |
❿ 旧 関東逓信局 | ※ 名称をクリックすると解説にジャンプします。 |
堂々たる姿
円形の広場に沿って立つ10基の建物。一部を除いて日本人の設計によるものです。それにしても100年以上前に建てられたルネッサンス様式やゴシック様式など、まさに「傲然挺立」、堂堂たるその姿に日本人として誇らしさを感じます。
➊ 旧 朝鮮銀行大連支店(現:中国工商銀行大連中山広場支行)
日本統治下では中央銀行としての機能を持っていた朝鮮銀行。その大連支店の業務拡大に伴い1920年に新築されました。コリント式の柱が並んだルネサンス様式の建物で、重厚感を感じます。
設計者は中村與資平氏。延床面積: 5,278m²
1908年に大連民生署の庁舎として建築されました。日本統治下で最初に建てられた庁舎です。中央に時計塔を持つスタイルはヨーロッパの市庁舎風ゴシック様式の建物。今もオシャレ感が漂います。1922年より大連警察署の庁舎となりました。
設計は前田松韻氏。煉瓦造2階建、塔屋付。延床面積約2,000m²。
この建物は歴史的建物ではありません。この場所にもともとあった建物は、1914年に竣工した在大連英国領事館です。
1952年以降は大連市六一幼稚園が使用していましたが、1995年に取り壊され、2000年に大連金融大厦として建てられました。
外面と内実
100年以上にわたって堂堂たるこの風貌が保たれていることに敬意を感じます。「外強中乾」では成し得ないことであることは疑う余地はありません。要するに、事を成し遂げるには外面と内実の両方を充実させなければならないのです。
南満州鉄道が経営した瀋陽や長春などにある旧大和ホテルの中で、最も格式の高かったのが大連大和ホテルです。建物正面は花崗岩のイオニア式の柱を並べたバロック様式の建物です。
現在は「大連賓館」で、建物内部の廊下など、格調の高い雰囲気が溢れています。ライトアップされた外観は誠にきれいです。設計は南満州鉄道技師の太田毅氏及び吉田宗太郎氏。1909年着工、1914年竣工。鉄骨煉瓦造4階建。延床面積は11,376m²。
旧大連市役所の庁舎。玄関の唐破風(からはふ)など日本建築の風合いが取り入れられており、塔屋のデザインは京都祇園祭の山車をイメージしたそうです。
設計は松室重光氏。1919年8月竣工。延床面積は9,870m²。
アーチ形の窓がおしゃれなルネサンス様式の建物。東洋拓殖株式会社は植民地事業のための国策会社でした。
設計は宗像主一氏。竣工は1936年。延床面積は8,105m。
大連人の心意気
これだけたくさんの歴史的建造物が集中しているのは中国広しと言えども、上海の外灘と大連中山広場くらい。100年ほども前に建てられ今もって現役で使われているのは、建物が非常にしっかりとしていることはもちろんですが、建築後の紆余曲折の中で使う人に強い意志があったからではないだろうか。
取り壊された古い建物が少なくない中で、大連の人々の「心志は奪い難し」という心意気に尊敬の意を表したい。
清国大清銀行大連支店として1910年に建てられたルネサンス様式の建物。中央の塔屋はフランス風のマンサール屋根です。
1910年6月竣工。延床面積は1,762m²。中国人による設計です。
第二次世界大戦後、新中国成立の間もない1950年に、コンサートホール兼劇場として建築されました。現在も大連市の主要な文化施設として、内外の演奏家・演劇家に利用されています。つつましやかな外観ですが、内装は重厚で見ごたえがあります。
設計は建築当時大連に駐屯していたソ連人チーム。
当時、日本唯一の外国為替管理銀行だった横浜正金銀行の大連支店として建てられました。
三連のバロックドームを持つタイル貼りの建物。基本設計は妻木頼黄氏が行い、満鉄技師の太田毅が実施設計を行いました。この歴史的建造物をそのまま残し、背後に高層の銀行ビルが建築され、内部は行き来ができるようになっています。
中山広場の中でも最もきれいなライトアップではないかと思います。竣工は1909年。延床面積は2,805m²。
関東州での郵政事業を担当した逓信省関東逓信局の庁舎でした。戦後はソビエト連邦軍大連警備司令部が接収。現在は大連市郵政局が使用しています。
設計は松室重光氏。竣工は1925年。
老百姓の広場
この中山広場、周囲の歴史建造物だけではなく、広場の円内は人々の憩いの場にもなっています。ラジカセの音楽に合わせて広場舞に興じる人達、鳩と戯れる光景、ゆっくり散策する人など「怡然自楽」。「老百姓」が「小康」を楽しむ広場の下には、地下鉄2号線の駅があり、大連市街を東西に結んでいます。