【鞠躬尽力】と諸葛孔明は言った 成都には峻厳さと可愛い大熊猫が

上げ膳据え膳のパンダに羨望の声?(中国・成都2011年4月)

 

中国に赴任中、とある日本人駐在員から「機会を作って成都の街を見に行った方が良い」というアドバイスが。そこで、清明節の休暇を利用して行ってみた。2011年のことであった。

 

成功のヒント 中国ことわざ・格言

悪の小なるを以てこれを為す勿れ(勿以恶小而为之)

  • 中国語:勿以恶小而为之   [ wù yǐ è xiǎo ér wéi zhī ]
  • 出典:三国志·蜀书·先主传
  • 原文:勿以恶小而为之,勿以善小而不为。(悪の小なるを以てこれを為す勿れ、善の小なるを以て為さざること勿れ)
  • 意味:悪事はどんなに小さな事でも行ってはいけない。善事はどんなに小さな事でも行うこと。三国時代の蜀の皇帝・劉備玄徳が死の床で息子の劉禪を呼んで戒めた言葉。

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憨態可掬(かんたいかきく)

  • 中国語:憨态可掬   [ hān tài kě jū ]
  • 出典:聊斋志异・种梨
  • 意味:無邪気なのがとてもかわいらしいこと。天真爛漫でいくぶん間が抜けたさま。

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鞠躬(きくきゅう)尽力、死して後已まん

  • 中国語:鞠躬尽力、死而后己   [ jū gōng jìn lì, sǐ ér hòu jǐ ]
  • 出典:三国志(後出師の表)
  • 意味:うやうやしく身を屈めて尽力し、死ぬまでやめません。との意。諸葛孔明が蜀の二代目皇帝の劉禅に対して、この身を捧げて死ぬまで全力でやり続けるという強い決意を表明をした言葉。

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三顧茅廬(さんこぼうろ)

  • 中国語:三顾茅庐   [ sān gù máo lú ]
  • 出典:諸葛亮(出師表)
  • 意味:目上の人が格下の者の許に三度も出向いてお願いをすること。劉備(りゅうび)が諸葛亮(しょかつりょう)を迎える際に三度訪ねたとする故事に由来。三顧の礼。

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弾指の間

  • 中国語:弹指之间   [ tán zhǐ zhī jiān ]
  • 出典:康僧会(安般守意经序)
  • 意味:指をはじいて音を出す極めて短い時間であることの例え。

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望洋興嘆

  • 中国語:望洋兴叹   [ wàng yáng xīng tàn ]
  • 出典:庄子(秋水)
  • 意味:仰ぎ見て嘆息すること。自分の能力不足を嘆く。

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記事:【鞠躬尽力】と諸葛孔明は言った 成都には峻厳さと可愛い大熊猫が

大都会・成都に可愛いパンダ

 中国の経済発展は沿海部から始まったが、内陸部にある四川省成都も都市規模や発展度合も、沿海部としに引けを取らない。そう言う件の駐在員の言葉が、現地を見たらすぐに納得できました。何しろ、成都は1600万人の人口を抱える四川省の省都。

 とはいえ、成都と言えばパンダ(ジャイアントパンダ、中国名:大熊猫)。郊外にある大熊猫繁育研究基地へ行ってみました。

 さすが、ここはパンダの本場。すぐ目の前には多くのパンダが。「お座り」して何かを食べていたり、ごろごろしたり、何をしていても、どんな姿であっても、パンダは「憨態可掬」。目の前の愛くるしい姿を見ていると、子供だけでなく大人のおじさん達にとっても時間のたつのを忘れてしまいそうです。

 

抱っこしたら

 ふと見ると、小さな看板に「赤ちゃんパンダを抱っこできます。料金約2万円」とのこと。その金額に、思わず絶句。確かに希少のチャンスではあるが…

 望洋興嘆」であるものの、看板の下には「飼育の都合上、午前中のみのサービス」とのこと。残念、行ったのは午後でした…

 

早わざ

 成都で、パンダと並んでもうひとつの見物が、四川の伝統芸能である「变脸」。日本では「変面」と訳される「变脸」とは、伝統劇「川劇」の中で披露される技で、仮面を瞬時に変化させます。これが「弾指の間」の極超早わざで、何度見てもその仕組みがわかりません。

 「变脸」は大連などでも見ることができますが、やはり本場で見るのは格別です。約700年の歴史をもつ門外不出の秘技。一見の価値ありです。

 

三国時代

 その昔、三国時代には蜀の国の都がおかれていた成都市。今では沿海部都市に負けない大都会。しかし街には2300年以上と言われる歴史を感じるたたずまいがそこここに。

 229年までに魏(初代皇帝:曹丕)、蜀(初代皇帝:劉備)、呉(初代皇帝:孫権)が成立し、中国内に3人の皇帝が同時に並び立ちました。互いに覇権を争った三国時代については、『三国志演義』をはじめとする数々の物語が書物で残されています。

 蜀の皇帝であった劉備玄徳は、口数は少なく偉ぶらず男気があり、当時の若者は争って彼についていったそうです。

 皇帝・劉備は「三顧茅」の礼を以て諸葛亮(諸葛孔明)を蜀の丞相(天子の補佐役)として迎えました。劉備が40代に対し諸葛亮は20代であり、明らかな上下関係があるにもかかわらず、それに捉われない応対をした誠実さには感嘆します。

 

峻厳な両者

 諸葛亮は、劉備亡き後の二代目皇帝の劉禅に対して「鞠躬尽力、死して後已まん」という言葉を残しています。

 国のために身を粉にして働き、死んでからゆっくりとする、との意ですが、そのような姿勢のリーダーの下では部下も働かざるを得ません。周恩来総理が亡くなったときに贈られた言葉もこの言葉だったそうです。

 成都武侯祠漢昭烈廟(劉備殿)の門前に掲げられた「明良千古」と記された額。「明」は劉備が賢明、「良」は諸葛孔明が忠誠、「千古」とは後世まで伝わるという意味だそうです。

 中国では唯一の君子と君臣が合祀された御廟ですが、その四文字に二人の絆の強さが現れているように感じます。

 また、劉備玄徳が死の床で息子の劉禪を呼んで戒めた「悪の小なるを以てこれを為す勿れ善の小なるを以て為さざること勿れ」との言葉にも、人間性が現れていて感銘を受けます。

 成都には、ジャイアントパンダ(大熊猫)の愛くるしさと、劉備玄徳、諸葛孔明の身の引き締まるようなリーダーの物語を彷彿とさせる歴史が息づいています。

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