【光陰は箭に似たり】 さらば大連 帰りなんいざ 生涯忘れまじ
15年間に亘る中国駐在員生活。会社生活の約三分の一以上にもなり、自分にとってはライフワークとも。しかし、その充実した駐在生活にも終わりが来ようとしている。
成功のヒント 中国ことわざ・格言
帰りなんいざ
- 中国語:帰去来兮 [ guī qù lái xī ]
- 出典:陶淵明「帰去来辞」
- 意味:職を辞して、さあ故郷へ帰ろう、との意。
騏驥(きき)も衰うや駑馬之に先立つ
- 中国語:骐骥之衰也,驽马先之 [ qí jì zhī shuāi yě, nú mǎ xiān zhī ]
- 出典:戦国策
- 意味:一日に千里も走る駿馬ですら、年を取ると駑馬(並の馬)に劣る。転じて、優れた人であっても年老いて衰えると、凡人にも劣るとの例え。
光陰は箭に似たり(光陰似箭)
- 中国語:光阴似箭 [ guāng yīn sì jiàn ]
- 出展:書庄(关河道中)
- 意味:光陰矢の如し。月日の過ぎるのは、矢が飛んで行くように速いというたとえ。「光陰」は歳月、時間の意味。(月日はすぐに過ぎ去ってしまい、戻ってはこない、だから無為に日々を送ってはならないという戒めの意もある)
過ぎたるは猶お及ばざるがごとし(過猶不及)
- 中国語:过犹不及 [ guò yóu bù jí ]
- 出典:論語
- 意味:度が過ぎるということは、足りないのと同じで、どちらもよくない。 「当を得る」ことこそが重要である、との意。
大獲全勝
- 中国語:大获全胜 [ dà huò quán shèng ]
- 出典:水滸伝
- 意味:完全勝利を獲得すること。大勝利。
始め有るものは必ず終り有り
- 中国語:有始有终 [ yǒu shǐ yǒu zhōng ]
- 出典:扬雄(法言・君子)
- 原文:有生者必有死,有始者必有终,自然之道也。
- 意味:生有るものは必ず死が有る、始め有るものは必ず終り有り。
留連不捨
- 中国語:留连不舍 [ liú lián bù shě ]
- 出典:金瓶梅词话
- 意味:名残りを惜しむ。離れがたく思うさま。
暖機
- 中国語:暖机 [ nuǎn jī ]
- 解説:中国東北部では冬季に地域暖房としてスチーム暖房が有料で提供されています。大規模ホテルなどでは自前のボイラーを持っていますが、一般的なアパートなどでは、政府からスチームの供給を受け室内を暖房します。
記事:【光陰は箭に似たり】 さらば大連 帰りなんいざ 生涯忘れまじ
名残り惜しい
思い起こせば、49歳の時に突然、中国・上海に赴任、その2年後には大連へ異動。まったく何もわからない状態から始まった中国での仕事でしたが、試行錯誤を繰り返しながら、与えられたミッションに向かって奮闘を続けました。
時には、会社存続にも関わる困難や突然の発病などの想定外の出来事に直面しましたが、多くの方々の支援や社員である仲間たちの奮闘によって何とか乗り越えることができました。
そして、63歳を過ぎたころに、日本本社から本帰国の指示がありました。65歳をもって完全リタイアするのが会社の規定。残り一年半は、ラインを外れて本社で過ごし、長かった中国駐在の疲れを癒すように、との親心。
大連を離れる日が近づくにつれて、今までの出来事がまるで走馬灯のように一つひとつ思い起こされ、「留連不捨」の念が禁じ得ません。
まだできるとの思い
63歳を過ぎたころから、帰国後の処遇や後任者人事など、周囲が一気に騒がしくなってきた中で、「まだまだできる」という強い気持ちは消えてはいませんでした。
「年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる」とのサミエル・ウルマンの名言のように。
しかし、ちょっと待てよ、自分では、少なくとも中国での会社運営についてはまだまだ人後には落ちないぞとの自負を持ってはいるが、他人からはどう見えるのであろうか。
「騏驥(きき)も衰うや駑馬之に先立つ」という言葉があるではないか。本より自分はそんな騏驥(駿馬)であろうはずも無く、ひょっとしたらこれ以上の長居は老害にさえなりかねない。
感じた潮時
そう考えると、このあたりが潮時ということかもしれません。そもそも「始め有るものは必ず終り有り」、それがきっと「今」なのでありましょう。
会社の規定とはいえ、完全リタイヤとなる65歳を控えて出された帰国命令。それに抗うことは決して得策ではない。「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」という格言には従うべきだとの自分なりの結論を出したのです。
あっという間の15年
1997年に日本での仕事上の失敗が原因で苦境に立たされ、失意の底にあった中で、突然の社命によって1998年に中国に赴任。
中国ド素人でしたが、気がついたら思いもよらず約15年近くもの長い時間が過ぎてしまいました。
「光陰は箭に似たり」と言われるように、あっという間の出来事であったように感じます。それだけ毎日が充実していたのでありましょう。
中でも12年余りに亘った大連での駐在期間中には、自分の突然の病や会社存続の困難等や突然の病など、数々の課題にも負けずに、むしろ反って業績を伸ばし「大獲全勝」することができたものと確信できました。
さらば大連
振り返れば、社員の仲間達、社外の多くの支援者の出現等々、様々な出来事でさえ、実は「成功へ、成功へ」とうねり、自分はただそれに乗っていたように強く感じられます。大大感謝です。
駐在期間中はずっと単身赴任。とはいえ、いつの間にか増えてしまった荷物を整理し、すべての任務を終えたのは2012年12月末。「暖機」と呼ばれるスチーム暖房のおかげで、室内は暖かいものの、その年の寒さはことのほかこたえました。
翌2013年1月2日、後ろ髪を引かれる思いを振り切って、そして溢れそうな涙をこらえ、さらば中国、さらば大好きな大連。「帰りなんいざ」そして、明日からは再び歩みを進めよう! 人生幾つになっても勇躍前進だ!