【滄桑之変】の中国にあって 先知者は如何にすべきか

趣き豊かな瀋陽駅(2018年5月)

 

1998年、上海に赴任してまだ半年も経たず、言葉もよくわからない頃。無謀にも独りで初めて国内線に搭乗し北京へ。何とか用件が終わり上海へ戻るための北京国際空港で搭乗チェックインを済ませた。その時に「事件」は起こった…

 

成功のヒント 中国ことわざ・格言

烏七八糟

  • 中国語:乌七八糟   [ wū qī bā zāo ]
  • 出典:新路歌
  • 意味:めちゃくちゃであること。でたらめである。

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質朴無華(しつぼくむか)

  • 中国語:质朴无华   [ zhí pǔ wú huá ]
  • 出典:林语堂(萧伯纳一席谈)
  • 意味:飾り気が無く誇張のないこと。

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先知なる者は鬼神に取るべからず

  • 中国語:先知者,不可取于鬼神   [ xiān zhì zhě, bù kě qǔ guǐ shén ]
  • 出典:孫子
  • 意味:先覚者たる者は鬼神のお告げなどといって信じてはならない、との意。

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滄桑之変

  • 中国語:沧桑之变   [ cāng sāng zhī biàn ]
  • 出典:续夷坚志
  • 意味:大海原が桑畑の変わるほどの変化。世の中の変化がとても大きいこと。

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走投無路

  • 中国語:走投无路   [ zǒu tóu wú lù ]
  • 出典:杨显之(潇湘雨)
  • 意味:八方ふさがりになる。行き詰まる。なすすべのない窮地に陥ること。

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惊魂未だ定まらず

  • 中国語:惊魂未定   [ jīng hún wèi dìng ]
  • 出典:蘇武(谢量移汝州表)
  • 意味:びっくりして、まだ気持がおさまらないこと。

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記事:【滄桑之変】の中国にあって 先知者は如何にすべきか

窮地に遭遇

 受け取ったボーディングチケットに印字された便名が、電光掲示板に無い!

 ロビーにいた係員に、どうすればよいのか中国語で尋ねました。曰く、チケットに書かれた搭乗口へ行けばよい、と。下手でも中国語が通じた喜びを密かに感じつつ、指定の搭乗口へ。しかし、そこにも搭乗便の表示はありません。何やらアナウンスがされていますが、その中国語が聞き取れません。

 当時の北京国際空港は、小さな円形のターミナルひとつだけの規模。放射状に搭乗口が配置されています。搭乗客だけでなく、到着便の乗客もそこから出てくるので、小さなターミナル内は結構な混雑状態。

 そんな中にまるで放り出されたようで、助けてくれる人もいない独りぼっちでは「走投無路」。

 仕方なく待合室で隣に座っている人の搭乗券を横目で盗み見て、自分の搭乗便と同じであることを確認。何とも不安な出発前のひと時でありました。

 

大連の勝ち

 1998年当時の北京はというと、空港から市街へ向かう道路の両側に植えられている街路樹は緑というより埃っぽくグレーといった感じ。街を歩く若い女性の服装もグレーや黒が多く「質朴無華」。

 参考まで、2000年頃の大連では、女性の服装が北京よりもはるかにカラフルでありました。都市規模では北京に比べるべくもありませんが、モノクロのイメージしかなかった北京よりもファッションでは相当進んでいたように感じたのです。

 それもそのはず、大連では毎年「大連国際ファッション祭」と称する一大イベントが開催され、また、モデル養成学校もあったりと、その方面では先進的であった背景に納得です。

 

変の北京

 その後、出張で2年ぶりくらいに北京へ行ってたまげました。女性の服装が大連よりもカラフルでおしゃれだったのです。これには驚きました。僅かの期間であるにもかかわらずこの変貌ぶりには「惊魂未だ定まらず」だ。

 しょぼかった「北京国際空港」は、大規模改装がなされ第2ターミナルも増設され、たいへん立派な北京首都国際空港となりました。

 更に2004年には第3ターミナルが完成し、以前とは隔世の感がある巨大な空港になりました。しかしそこも限界に達したということで、2019年9月には新しく「北京大興国際空港」が完成、開港したそうな。サッカー場100個分の大きさとのことですから超巨大空港です。僅か20年ほどの間に巨大空港が北京に二つもできたのですからすごいことです。

 

乗り遅れるぞ

 目を遼寧省に転じて省都の瀋陽市。ここは市街地人口が600万余ですから大連の約2倍の規模。

 ですが、2000年に初めて訪れた時は、大きな道路でもセンターラインは引かれておらず、車や自転車、歩行者などが無秩序に往来。その光景たるや「烏七八糟」。都市としてこなれていた大連とは大きく異なり、このような状況下で事業展開するのは到底不可能だと感じたのです。しかし…

 その1年後、所用で再び訪れた瀋陽は見紛うほどの変貌を遂げていたのです。わずか1年で。そこで慌てて瀋陽に分公司(支社)を設立し、事業展開の準備を急ピッチで進めました。

 

責任者の責務

 経済発展の真っ只中にあった中国では、一旦変化の兆しが現れると「桑之変」、ものすごいスピードで変化することが身をもってわかりました。

 少々、早すぎるくらいの時に決断しないと乗り遅れることになりそうです。

 急ぎ設立した瀋陽分公司はその後独立を果たし、大連市を除く遼寧省全域をテリトリーとする立派な会社に発展・成長しました。

 中国で大事を判断する時には、又聞きの情報や「お告げ」などを頼るのではなく、「先知者,不可取于鬼神」、常にアンテナを張り、そして磨き、自ら現地に出かけ、そこの空気を吸い、判断することが鉄則であります。

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