後漢書には【得隴望蜀】と 切りが無い拝金主義 欲望にどう対処…

中山広場の歴史建造物(2018年5月)
拝金主義に浸る社員たち。お金に頼らない社員のモチベーションアップが求められる。体の外にまで滲み出すほどの総経理(社長)の内なる徳。会社経営者としてまずその努力を開始すべきでありましょう。
成功のヒント 中国のことわざ・格言
▮今回のことわざ
无恒产者无恒心 / 恒産無き者は恒心無し
- 中国語:无恒产者无恒心 [ wú héng chǎn zhě wú héng xīn ]
- 原文:“有恒产者有恒心,无恒产者无恒心”
- 出典:孟子(梁惠王上)
- 意味:一定の財産や収入がある人は一定の道徳観念があり、一定の財産収入が無い人は道徳観念や行動原則は無い。「恒産」は一定の財産・収入。「恒心」は人間として持つべき心、節操。
见钱眼开 / 銭を見て眼開く
- 中国語:见钱眼开 [ jiàn qián yǎn kāi ]
- 出典:金瓶梅
- 意味:金を見たら眼を見開くこと。貪欲に財貨を求めるとの意。
徳潤身 / 徳は身を潤す
- 中国語:徳潤身 [ dé rùn shēn ]
- 出典:大学(伝6章)
- 原文:「富潤屋,徳潤身」(富は屋を潤し、徳は身を潤す)
- 意味:財産が有れば(家屋に様々な調度や装飾が備えられ)潤いが加わる。人に徳があればその身に潤いが加わる。徳が内に充実すれば外にまで現れる。
悲喜交集 / 悲喜 交(こもごも)集る
- 中国語:悲喜交集 [ bēi xǐ jiāo jí ]
- 出典:晋書
- 意味:悲しみや喜びが一度にやってくることの例え。
得陇望蜀 / 隴を得て蜀を望む(ろうをえてしょくをのぞむ)
- 中国語:得陇望蜀 [ dé lǒng wàng shǔ ]
- 日本語表記:得隴望蜀
- 出典:後漢書(岑彭传)
- 意味:「隴」は隴西(ろうせい)。今の甘粛省にある。「蜀」は、今の四川省。ひとつのものに満足できずに、更により以上のものを求め望むことの例え。欲にはきりがないこと。満足を知らないことの意。
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▮悲喜交集
サラリーマンにとって給料額は最大の関心事。そこで、社員のモチベーションアップを期待して、ベースアップなどの給与改定を実施するのだが、果たしてその目的達成のために寄与しているのだろうか。
社員はもちろん給料は多いに越したことはありません。そこで、毎年の給与改定の季節になると、今回はいくら上がるのだろうかと、期待に胸を膨らませることになります。
しかし、会社には会社の懐具合があって、出せる金額には当然のことですが限度があります。大幅に上がった社員、それほどではなかった社員等々様々でしょうが、とにかく上がったのだから結果は「悲喜交集」、まずまずであったとそれぞれが納得しているようです。
▮隴(ろう)を得て蜀を望む
中には「総経理、謝謝」と給与アップの喜びを伝えてきたりする社員がいた時には、なかなか可愛い奴だ、なんて思うのですが、それもつかの間。二か月も過ぎると、アップ後の給与額が当たり前のようになってしまい、あの時の喜びはどこへやら。そして、うちの会社の給料は安いなあ、と。
「隴を得て蜀を望む」とは後漢書にある言葉。ひとつを手に入れたら、更にもうひとつとばかりに、人間の欲にはきりがないということでしょうか。
今の時代、友人同士でSNSを使ってうちのところはいくら上がった、君のところは…などという情報交換が当たり前。その結果、給料改定をしてしばらくたつと、「やはりわが社の給料は他と比べて安い。だからもっと上げてくれ…」と。またもや振出しに戻った感でため息が出るというもの。
▮見銭眼開
経営側としては社員たちの要望を叶えてやりたいという気持ちはやまやまであったとしても、会社には財源に限度があり「はいはい」といつも要望を聞き入れることはできません。
明代の小説「金瓶梅」には貪欲に財貨を求める「見銭眼開」ということわざがあります。医療保険や年金制度など社会保障が十分ではないことを考えると、自分の将来に不安を感じ、何よりお金が大切と思うのは理解できなくはありません。
しかし、如何に拝金主義の世の中とはいえ、お金がすべてということでは人生寂しい限り。上班族(サラリーマン)にとって給料はとても大事たけれども、お金以外にモチベーションを少しでも上げる方法は無いものか。それも一過性ではなく持続性のある方法は…
▮恒産無き者は恒心無し
あくまでも一般論ですが、道徳心の薄さにはお手上げです。とはいうものの、人生はお金だけではないとはいうが、道徳ではおなかがいっぱいにはならないのも事実。
孟子は「恒産無き者は恒心無し」と。一定の財産が無いと道徳心も無いというのですが、現実社会を見ていると、財産があるからと言って道徳心があるとも限らないようにも思います。
社員のみんなは、自身のために、また家族のために、一段、二段上の暮らしを求めて努力している。しかし、一度きりの人生、その努力に加えて、精神面の豊かさも併せ持ってもらいたいものです。財産があろうとなかろうと最低限の道徳心は持ち続けることが、豊かな人生を送ることにつながるのではないでしょうか。
▮徳は身を潤す
社会にはびこる拝金主義を払拭することなど出来ようはずがありません。しかし、そんな中にあっても、人はお金だけで動くわけではないことを信じたいと思います。
給料に対するきりのない欲求は満たすことができません。社員にとってのその隙間は、会社としての「ハート」で埋める。福利厚生を充実させることはもちろん、社員たちが喜びそうなイベントをいくつも計画実施することなどが考えられます。社内の「部活」や地域行事への参加も。
「お金お金」というぎすぎすした生活の中に少しでも潤いを見出してもらうこと。社員を思いやる気持ちを思いっきり持つこと。それらによって「ハート」を感じてってもらうことができたら少しは隙間が埋まるのではないでしょうか。
「徳は身を潤す」という言葉が古典の「大学」にあります。体の外に滲み出すほどの内なる徳。会社経営者である総経理がまずその徳を身につける努力を開始すべきでありましょう。