礼記には【悖入悖出】と 中国では くそ真面目も巧詐もほどほどが…

池の底の泥に根を張り咲かせる蓮 (2018年3月大阪)
何事にも度を越すようなことがあってはならないと言う孟子。生真面目であっても度を越さず、巧詐もほどほどに。そんな感覚が成功のための「妥当な解」ではないでしょうか。正解とは言えないかもしれないが、最も現実的であるということです。
成功のヒント 中国のことわざ・格言
一本正经 / 一本正経
- 中国語:一本正经 [ yī běn zhèng jīng ]
- 出典:抱朴子(百家)
- 意味:重々しく厳粛な態度のこと。生真面目、くそ真面目なこと。
巧诈不如拙诚 / 巧詐(こうさ)は拙誠(せつせい)に如かず
- 中国語:巧诈不如拙诚 [ qiǎo zhà bù rú zhuō chéng ]
- 出典:韩非子(説林)
- 意味:巧詐(巧みに表面を取り繕うようなやり方)は拙誠(拙くても誠実なやり方)には及ばない。
适可而止 / 適可而止
- 中国語:适可而止 [ shì kě ér zhǐ ]
- 出典:論語(乡党)
- 意味:適当なところで止めること。度を越すことはしない。
悖入悖出 / 悖入悖出(はいにゅうはいしゅつ)
- 中国語:悖入悖出 [ bèi rù bèi chū ]
- 出典:礼記(大学)
- 意味:不正な手段で得た財物は不正な手段で奪われる。悪銭身に付かず。
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記事:【悖入悖出】 中国では くそ真面目も巧詐もほどほどが…
▮巧詐は拙誠に如かず
ある時、出張先から大連に戻った彼は、空港からタクシーに乗り宿舎に向かいました。
空港の到着ロビーを出ると、呼び込みが少なくありませんが、彼は、それらを振り切って正規の乗り場で順番待ちをしていたタクシーに乗り込みました。
出張疲れからか、慣れた大連に戻った安ど感からか、溜め息のような息を吐き出し、車外の風景を眺めていた時、料金メーターの上がり方が異様に速いことにふと気がつきました。正規のタクシー乗り場で乗り、外観や料金メーターなど、不審なものは何もなく、何の疑いもせず乗り込んだのですが、おかしい…
既に大連の生活にも慣れ、中国語もそこそこできるようになっていた彼は、運転手に文句を言ったのですが、運転手は取り合おうとはしません。
なんとそれは外装やメーターなど、本物そっくりの「悪徳黒車」。ちょっと見ただけではわからない偽タクシーだったのです。
「巧詐は拙誠に如かず」とは韓非子にある言葉。表面は見事に繕っていますが、実は誠実さのかけらもない。性悪説で物事を見ないと騙される可能性が多分にある、少しばかり寂しい社会。
正規料金より二割程度高いだけだったのですが、その性根に我慢できず、宿舎に到着するまで怒りまくって、結局、相場相当の料金を払って下車しました。
▮悖入悖出
大都会・上海市の中心部にある華亭路という小路。賑やかな淮海中路と長楽路の間にあって長さは200メートル程度、道幅は約4メートルの静かな住宅街の道路です。ここは以前は中国第一の服装外と言われていたそうです。狭い道路の両側にテントやバラックの露店がびっしり並んでいて、それはそれで活気が溢れていました。
そこでは、ブランドもののポロシャツや時計などが売られていました。もちろん偽物。それが上海赴任直後の彼には物珍しかったようで、時々ひやかしに行ったそうです。
まだ中国語がよくは話せなかったころ、面白がって買い物をしてお金を払いお釣りをもらいました。ついでにもうひとつ買おうと思い、たった今、もらったお釣りの中から、そのお店のおじさんにお金を渡すと、「これ、偽札!」と間髪を入れず突っ返されました。ついさっき、そのおじさんから貰ったお札なのに…
礼記には「悖入悖出(悖りて入るは悖りて出づ)」ということわざがあります。さしずめ「悪銭身に付かず」と言ったところの意味になるでしょうか。
偽物を仕入れて売ることはとんでもないことですが、当時は「よく売れて単価も高く儲かる商品」程度の認識で、偽物という概念がなかったように感じます。
その駐在員に結構人気のあった「華亭路」は、その後、すべてのお店が引っ越して、静かな住宅街の小路となり、当時の面影はまったくありません。
▮一本正経
世の中の商品やサービスは、本来不可欠な手間や費用をかけて作り出されるはずです。しかし、偽札にせよ偽タクシーにせよ、それをしないで小手先のつじつま合わせをして、その場しのぎをしているようなもの。
そのいい加減さの対極にあるのが日本人によくある考え方。中国のことわざに「一本正経」というのがあります。いわば「くそ真面目」な考え方のことです。様々なルールや道徳など、こまごまと遵守することが当たり前の日本で慣れ親しんだことを、中国でも同じように実行することは如何なものか。
例えば、深夜の交差点で車も来ないのに赤信号だからということでじっと待つようなもの。あまり現実的ではありません。
▮適可而止
論語には「適可而止」という言葉があります。何事にも度を越すようなことがあってはならず、ほどほどの所でやめなければならない、というのです。
例えば、自動車の運転。真っすぐに走るためには、ハンドルの「遊び」がたいへん重要です。これがあるから車は容易に直進できる。但し、遊びが大きすぎると走行は不安定なものになってしまう。実際には、その線引きは簡単ではありませんが。
生真面目であっても度を越さず、巧詐もほどほどに。そんな感覚が最も現実的であるということです。これが正解とは言えないかもしれないが「妥当な解」ではないでしょうか。