【画蛇添足】とは リーダーが発展を妨げるボトルネックでは…

大連労働公園から望むビル群…(2019年5月)
総経理やリーダーがやるべきことは、多くの車両を引っ張る機関車役ではありません。新幹線の運転手型の役割が例えとしては良かろうと思います。また、車両を点検整備する専門家なのです。運転手のスイッチ操作ひとつで、皆が心を合わせ一斉に走り出します。
成功のヒント 中国のことわざ・格言
▮今回のことわざ(五十音順)
羽毛丰满 / 羽毛豊かにして満つ
- 中国語:羽毛丰满 [ yǔ máo fēng mǎn ]
- 出典:杜诗言志
- 日本語表記:羽毛豊満
- 意味:小鳥の羽毛が成長し生え揃った。転じて、既に実力が強大になり、一人前になったことの例え。
顾虑重重 / 願慮重重
- 中国語:顾虑重重 [ gù lǜ chóng chóng ]
- 出典:孙犁(文事琐谈)
- 意味:色々と気を揉むとの意。「顾虑」は心配する、懸念すること。「重重」は幾重にも重なり合うこと。
画蛇添足 / 蛇を画き足を添える
- 中国語:画蛇添足 [ huà shé tiān zú ]
- 出典:戦国策(齐策二)
- 意味:蛇の絵を画く時に、足を付け足す。余計な付け足しをすることの例え。
人道恶盈而好谦 / 人道は盈(えい)を悪(に)くみて謙を好む
- 中国語:人道恶盈而好谦 [ rén dào è yíng ér hǎo qiān ]
- 日本語表記:人道惡盈而好謙
- 出典:易経
- 意味:驕慢を憎んで謙虚を好むのが人の道である。「盈」は元は満ち足りた状態のこと。転じて、驕慢や傲慢の意。
因祸为福 / 禍に因り福と為す
- 中国語:因祸为福 [ yīn huò wéi fú ]
- 日本語表記:因禍為福
- 出典:史記(管晏列传)
- 意味:悪いことが良いことに変化すること。
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記事:【画蛇添足】とは リーダーが発展を妨げるボトルネックに…
▮願慮重重
大連に赴任し5年目になる総経理(社長)の彼は、会社内の掌握も進み、市場の様子も見えてきて、業績の拡大にも手ごたえを感じていました。国全体の経済も成長の一途。さあ、これから勢いに乗って行くぞ、と思った矢先、自身の体調の不調が。人間は生身、調子が良くないときもあるだろう、という程度で相変わらず仕事に励んでいたところに、突然の心臓発作が。
現地の病院に入院を余儀なくされ、治療が続く中で気になるのは、自分の体が今後どうなるのかという不安と共に、会社の様子です。中国にあることわざ「願慮重重」。気がかりなことが幾重にも重なり、気を揉む日々が続きました。
▮羽毛豊満
それもそのはず。
当時の中国の企業は、総経理(社長)にすべての権限を集中させ、何から何まで社長自身が決裁するのが一般的。総経理は会社の最高権力者で、総経理の指示が無くては何もできません。例えば、総経理が出張中は少額の支払いすらも、できないと取引先から断られることもあるのです。
会社の業績はどうなったか、社内はきちんと管理されているか、等々心配をしながら治療を続け、二十日余りの入院を経て退院。久々に出社し、仕事に復帰した彼は驚きました。何の違和感も無く会社は動いていて、自信が不在であった期間の業績もいつもと何ら変わっていませんでした。「羽毛豊満(羽毛豊かにして満つ)」とのことわざ。赴任した五年前には未熟であった社員達ですが、いつの間にか毛が生えそろった鳥のように、一人前の堂々とした幹部社員に育っていたことにはたと気がつきました。久しぶりに会って、立派に成長していた子供に驚くのと同じです。
▮画蛇添足
古代中国の「戦国策」にある「画蛇添足」とのことわざ。蛇の絵を画き、足を添えたということです。入院する以前は、「誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く退社する。土日に仕事を持ち帰ることも厭わず。自分がいないと会社は停滞してしまう」という考えでやっていました。どうもその考えは間違っていたようです。社員達が知らず知らずに育っていたことに気がつかず、余計な付け足しをしていたことに気づかされたのでした。
考えてみれば、会社には部門ごとにそれぞれ十年選手の現地社員が責任者として配置されていたのですから、それぞれが責任をもって運営すればよいことです。不足する所は総経理が補い、或は指導するというふうに幹部社員である責任者を信頼して任せることで、自主性、責任感を深めさせるように、マネジメントスタイルを変更したのです。
史記にある「禍に因り福と為す」ということわざ。突然の入院という禍があったことで、経営に対する考え方が大きく変わり、その結果、幹部社員達の仕事に対する自覚が深まり、自主的に組織を牽引し、業績の飛躍的拡大という良い結果に結びつくことに。
▮満は損を招く
何十年も前の時代ならいざ知らず、この変化の激しい現代においては総経理(社長)が、会社運営のすべてを担うなどということは不可能ですし、それに拘れば会社の発展は望めません。
易経にも「人道は盈(えい)を悪(に)くみて謙を好む」とあります。自分がいなければ会社は回らないとかいう考えは、自惚れ、慢心であることに気がつくべきです。
今の総経理は、多くの車両を引っ張る機関車ではありません。新幹線の運転手型の役割が例えとしては良かろうと思います。常日頃から各車両に着いたモーターを点検整備する専門家なのです。それが奏功すれば、運転手のスイッチ操作ひとつで、皆が心を合わせ一斉に走り出します。結果は自ずと見えてきます。