【安きこと泰山の如し】 何があろうと崩れない信頼関係が身を助ける

音楽に合わせて吹き上がる水(2015年9月大連・東港音楽噴泉広場)
中国現地の会社として、日中両国の関係の良し悪しとは関係なく、安心して事業展開できるような環境を是非共作りたいものです。また、リーダーとして社員に寄り添う心をもつこと。相手のことを考えることができる鋭敏さが不可欠です。鈍感では目標は成就できません。
成功のヒント 中国のことわざ・格言
▮今回のことわざ
近在咫尺 / 近在咫尺(しせき)
- 中国語: 近在咫尺 [ jìn zài zhǐ chǐ ]
- 出典:蘇武(湖州谢上表)
- 意味:一見すれば遠く離れているようだが、実際には目と鼻の先にいること。
恻隐之心 / 惻隠の心
- 中国語:恻隐之心 [ cè yǐn zhī xīn ]
- 出典:孟子
- 原文:恻隐之心,仁之端也(惻隠の心は仁の端なり)
- 意味:他人を思いやったり、同情しあわれみ痛む気持ちのこと。
辅车相依 / 輔車 相(あい)依る
- 中国語:辅车相依 [ fǔ chē xiāng yī ]
- 出典:左傳(僖公五年)
- 意味:「辅(輔)」は頬骨、「车(車)」は歯茎のこと。互いに助け合い補い合う間柄であることの例え。関係が非常に密接であること。
所藏乎身不恕,而能喻诸人者,未之有也 / 身に蔵するところ恕ならずして能くこれを人に喻す者は、未だ之有らざるなり
- 中国語:所藏乎身不恕,而能喻诸人者,未之有也 [ suǒ cáng hū shēn bù shù, ér néng yù zhū rén zhě, wèi zhī yǒu yě ]
- 出典:大学
- 意味:「恕」は寛容、慈しみ。自分自身に相手を思いやることができないのに、部下を導くことが出来た者は未だかつていない。自分に「恕」が欠けている者は、部下をうまく動かすことは出来ない、との意。
安如泰山 / 安きこと泰山の如し
- 中国語:安如泰山 [ ān rú tài shān ]
- 出典:上书谏吴王
- 意味:物事が泰山のようにどっしりとして、揺るがないことの例え。「泰山」は中国・山東省にある名山。
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記事:【安きこと泰山の如し】 何があろうと崩れない信頼関係が身を助ける
▮近在咫尺
2007年4月、温家宝総理は中国の総理としては7年ぶりに日本を訪問しました。そしてこの時の訪日を「融氷の旅」と喩えました。というのも、当時の日中間の関係が険悪で、冷え切った状態を氷に喩え、それを融解するための旅としたとのことです。
それを機に両国の関係がぐっと改善されました。しかし、そのわずか5年後の2012年には全国的に反日デモが行われ、日中関係は最悪の状態に陥りました。良好な関係であったとしても、何かの出来事がきっかけでそれまでの友好関係が突然破たん。
前漢の蘇武が言った「近在咫尺(しせき)」というすぐ近くにある両国。本来であれば隣国同士は「輔車 相(あい)依る」ということわざのように、互いに助け合い補い合う間柄であり、関係が非常に密接であるはずです。しかし、様々な要素、思惑、国内事情等々によって安定しないのが現実です。1972年9月に日本と中国の国交が正常化して以来も、改善、悪化を繰り返しているのが日中関係です。
▮安きこと泰山の如し
国と国の関係が冷え切っているからと言っても、そのことが事業の業績に大きな影響を与えたのでは、事業運営に携わる者としてはたまったものではありません。
政治的なギクシャクは、現地で仕事をしている駐在員にとって仕事がやりにくくなるのはもちろんです。が、「改善と悪化を繰り返す」ことを前提として、自らの事業に与える影響を最小限度に止めるための方策を日頃から対策しておかなければなりません。
国と国の関係を超えるのが、人と人との強い結びつき。個人レベルの関係を強くしておけば、国同士の関係が良くても悪くても、その影響を減じることができるはず。中国古来のことわざである「安きこと泰山の如し」とは、どっしりと揺るがないこと。両国間は揺れていても、人と人のレベルでは揺るがないことが求められます。
▮惻隠の心
自分の周りには事業環境を助ける人の他にも、会社内に目を移すと大勢の部下が存在しています。その「人」は生身。生きる間には様々な予期しないことが起こります。中には打ちのめされそうなことだって起こり得る。臓器移植をしなければ命が無くなると宣告された社員、妻が料理中にお圧力なべの蓋が吹き飛び目に大けがを負った社員…
孟子は「惻隠の心」と言う言葉を残しています。最も苦しんでいる人、大変な思いをしている人のもとへ飛んでいき同苦しようとする心が他者への思いやりの行動というものです。会社経営を行うものとして、社員に寄り添いいたわり、思いやることの大切さは人としての必要なことです。
また、打ちひしがれた社員に対して会社としてできることをしてあげることは、経営をしている総経理(社長)にしかできないのです。
▮恕ならずば…
中国の四書のひとつである「大学」には、「身に蔵するところ恕ならずしてよくこれを人に喻す者は、いまだこれ有らざるなり」とあります。リーダーたる者は自分に「恕」が欠けていたのでは、部下をうまく動かすことは出来ない、と読み取れます。
もちろん、日頃は厳格な管理を行い、時には辛辣なことも言わねばなりませんが、その根底には「恕」が必要であり、特に社員の身に大事が起きた際には、寄り添うことのできるリーダーになりたいものです。
それには、リーダーとして相手のことを考えることができる鋭敏さが不可欠です。鈍感では成就できません。社員に寄り添う心を持ち、会社としては両国の関係の良し悪しとは関係なく、安心して事業展開できるような環境づくりを心掛けたいものです。