中国の荀子は【忠言逆耳】と 現地会社発展の人材配置 モノ言う人材の効用とは

良薬口に苦し 忠言耳に逆らう さて、どうする?(2019年5月大連・労働公園)
中国の現地会社の総経理(社長)は地元の社員にとっては雲の上の人である。言わば絶対権力である、いわば皇帝のようなものだ。そんなことを言った先輩がいました。果たしてそうでしょうか。
長いものには巻かれろ
長年にわたって日本の市場競争の中で揉まれ幾多の経験を引っさげて中国に乗り込んだ総経理(社長)。やる気満々、中国市場の開拓や自社の事業拡大を目指して、戦略や施策を考え、社内にそれらを打ち出す頃になります。社員の皆さんにその内容を伝え、さっそく実行を促す総経理。
しかし、必ずしも想定通りに推移するとは言えません。何故なら、中国人社員にとって総経理は絶対的な存在ですから、総経理の言っていることが例え的外れであったとしても、よほどでない限り異を唱える中国人幹部はいないのです。
中国には「胳膊 扭るに大腿には過ぎず」ということわざがあります。腕では太腿を捻じ曲げることはできないという意味で、いわば「長い物には巻かれろ」です。
総経理が考えた施策・戦略は日本での自分の成功体験をベースにしたものであって、中国の視点が欠落している、そのことに気がつかず、それを指摘する部下社員もいないとき、総経理は一人相撲を取ることになり、結果としてピント外れなことをやってしまうことになってしまうのです。
皇帝の新装
総経理が自分の周囲に「イエスマン、イエスウーマン」ばかりを幹部として配置すると、どうなるか?
彼らは総経理から何を言われても「はい、はい」と追従するばかりか、おべっかを使い、甘い言葉で近づいてくることもあり、総経理にとっては耳触りの良いことこの上ないのですが、実態は決して良い方向には向かいません。荀子は「我に諂諛する者は吾が賊なり」と警告しています。そういった人たちは「賊」と思え、というのです。
多すぎるイエスマンの存在は遅からず「裸で街を歩く王様」になってしまいます。人は服を着ていない王様を「皇帝的新装(皇帝の新しい服装)」と思いっきり揶揄。そんな皇帝を誰が信頼するでしょうか。
日本から二泊三日程度の出張に来て、さも中国がわかったようなことを言う日本本社のおバカなお偉いさんは論外としても、わずかの期間、中国現地に駐在してさもわかったような気になってはならないのです。何千年もの歴史につながった現代中国は、その程度のことでわかるわけはないのですから。
中国ビジネスを健全に発展させたければ、「お友達内閣」のような緩々でぬるい組織から脱却し、緊張感が漂う会社にすることが不可欠です。
忠言耳に逆らう
では、総経理が自分の周りの中国人幹部社員の中に「物言う、異を唱える」ことができる人をおいた場合はどうなるでしょうか。
総経理が自ら運営方針や施策の骨子を考え、経営幹部の意見を聞くとしましょう。当初から異を唱えない、或は賛意を表す人たちとは別に、中にそれはよくないとかこの部分を修正すべきだなどと言ってくれる人の存在をどう考えるか。
ある意味で自分を否定される、耳の痛くなることではあるのですが、環境も習慣も異なる中国で会社を運営している日本人としては、自分よりもはるかに詳しい現地の幹部社員の意見を聞かざるを得ません。
「忠言耳に逆らう」という中国古来のことわざにあるように、耳に痛い忠言を聞く度量を持てるかどうかは、会社を成長させるか、或は停滞・後退させてしまうのか、その分かれ道に立っているとも言えます。
総経理と言っても人の子。常に正しい判断をしているとは限りません。会社の総責任者である総経理が、もし正しくない判断をした時は会社としての問題となりますし、その影響は業績の低迷や現地社員の離反といった現象になって現れます。
吾が師なりとは
現地のマーケットや社会のこと、一般社員の現場における悩み等々、日本人総経理よりははるかによくわかっているのが中国人幹部です。荀子が「我を非として当る者は吾が師なり」と言っているように、意見を述べ、異を唱える社員はむしろ必要不可欠な存在であると言えます。
確かに、自分になびいてくれる人ばかりで周囲を固めた方が、会社運営はやりやすいと思います。しかしそうすると総経理が正しくない判断をした時や暴走した時に諫めてくれる人がなく、結果的には会社運営がうまく行かなくなってしまいます。
自分の意見を堂々と主張できる部下の存在は、実は総経理である自分を成長させてくれる存在でもあります。ひいては業績の拡大に寄与することになります。
中国ビジネスの持続発展を望むなら、ものをいう幹部を総経理の周辺に置き、その意見に耳を傾け、自らを裸の王様にしないことが、不可欠であると考えます。
とはいっても、自分の周りは反対意見を言ってくれる人ばかりでは、疲れてしまいますので、取り巻きの半分以上は「イエス」を言ってくれる人がよいと思います。私のような凡人が楽しく正しく、そして力強く会社を運営するための智慧です。
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成功のヒント 中国のことわざ・格言
胳膊扭不过大腿 / 胳膊 扭るに大腿には過ぎず
◆中国語:胳膊扭不过大腿 [ gē bo niǔ bù guò dà tuǐ ]
◆出典:我这一辈子
◆意味:腕では太腿を捻じ曲げることはできない、との意。弱者が力比べをしても強者の常用程度にも及ばないことの例え。長いものには巻かれよ。
非我而当者,吾師也 / 我を非として当る者は吾が師なり
◆中国語:非我而当者,吾師也 [ fēi wǒ ér dāng zhě, wú shī yě ]
◆出典:荀子
◆意味:自分を非として指摘してくれる人は、自分にとっては師であると考え大切にした方がよい、との意。
谄谀我者,吾贼也 / 我に諂諛する者は吾が賊なり
◆中国語:谄谀我者,吾贼也 [ chǎn yú wǒ zhě, wú zéi yě ]
◆出典:荀子
◆意味:自分におべっかを使い、甘い言葉で近づいてくるような人間は賊と思っていた方が良い、との意。「諂諛(てんゆ)」とはこびへつらうこと。「賊」とは物を奪い取ったり、謀反を起こす人のこと。
忠言逆耳 / 忠言耳に逆らう
◆中国語:忠言逆耳 [ zhōng yán nì ěr ]
◆出典:司马迁(史记·留侯世家)
◆意味:忠告の言葉は、聞く者にとっては耳が痛いから、素直に受け入れられにくいと、との意。良薬は口に苦し。