孟子が言った【茅塞頓開】とは 中国・旅順 日露戦争の戦跡で…

白玉山の山頂に立つ白玉山塔 (2017年5月)

大連市中心部から約45キロ、遼東半島の突端部に位置する旅順。行政的には大連市が管轄する区(旅順口区)。人口30万人余りの綺麗な街です。

1904年~1905年にかけて行われた日露戦争の主戦場でもあった旅順には、その戦跡がいくつも残されています。

 

成功のヒント 中国のことわざ・格言

▮今回のことわざ(五十音順)

 

一览无余 / 一覧 余すところ無し

  • 中国語:一览无余   [ yī lǎn wú yú ]
  • 出典:南朝宋・刘义庆(世说新语·言语)
  • 意味:一度で余すところ無く見えること。一目瞭然である。

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窃窃私语 / 窃窃私語

  • 中国語:窃窃私语   [ qiè qiè sī yǔ ]
  • 出典:韓愈(顺宗实录·永贞五年)
  • 意味:ひそひそ話をすること。

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大义凛然 / 大義凛然

  • 中国語:大义凛然   [ dà yì lǐn rán ]
  • 出典:宋・曹辅(唐颜文忠公新庙记)
  • 意味:正義を胸に抱き、厳粛な態度で人をして畏敬させること。大義のためには敢然として屈しないこと。

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智贵免祸 / 智は禍を免るるを貴ぶ

  • 中国語:智贵免祸   [ zhì guì miǎn huò ]
  • 出典:三国志
  • 意味:智は智慧のこと。智の重要な働きは禍を免れることにある。

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茅塞顿开 / 茅塞頓開(ぼうさいとんかい)

  • 中国語:茅塞顿开   [ máo sè dùn kāi ]
  • 出典:孟子(尽心下)
  • 意味:茅(かや)で塞がれていたのが、忽然と開かれたようにはっと悟ること。はたと合点がいく。目から鱗が落ちる。

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記事:【茅塞頓開】とは 中国・旅順 日露戦争の戦跡で…

▮白玉山塔

 旅順口区の中心市街地にある海抜約130mの白玉山。その山頂に立つのが白玉山塔(ページトップの写真)。1909年に東郷平八郎と乃木希典によって建てられた塔です。元々は日露戦争の戦死者を慰霊するための塔で「表忠塔」と命名されましたが、1985年に「白玉山塔」と改名されました。

 塔は高さ66.8m。基底部には乃木の故郷である山口県から運んできた花崗岩が使われています。

 

▮旅順港
旅順港

眼下に臨む旅順港(2017年5月)

 1904年(明治37年)2月に勃発した日露戦争において、古い艦船を湾口に沈め旅順港の入り口を閉塞する、いわゆる旅順港閉塞作戦が行われました。当時のロシア艦隊を湾内に閉じ込める作戦であったそうです。

 写真は、白玉山の山頂から見た旅順港。半島と半島に挟まれた約70メートルの港口が閉塞作戦の対象となった場所です。これを見ると作戦を立案した意味がはっきりとうなずけます。

 孟子は「茅塞頓開(ぼうさいとんかい)」ということわざを残しています。茅(かや)で塞がれていて見えなかったが、あるとき忽然とそれが開かれ、はたと合点がいく、ということわざです。

 白玉山は海抜僅か130mですが、高いところに上ると平地にいては見えなかったものがくっきりと見えてくるのが驚きです。(この閉塞作戦は三度にわたって行われましたが、いずれもうまくは行かなかったそうです)

 

▮203高地
203高地から

203高地の頂上から少し霞んで見える旅順港(2017年5月)

 旅順市街地から約2キロのところにある小高い丘陵が203高地です。海抜203メートルであることからこの名が付けられました。

 1904年に始まった日露戦争で、ロシア海軍の基地のあった旅順港を巡る日露激戦の主戦場となった場所です。203高地から旅順港まで直線距離で約4㎞。目標地点である旅順港を一望できる場所です。

 中国のことわざ「一覧無余(一覧 余すところ無し)」とあるように一目瞭然。戦いには俯瞰することが求められます。

 203高地の山頂には爾霊山と名付けられた忠魂碑が立っています。旅順港を巡る争奪戦は激戦を極め、日露双方ともに多くの戦死者を出しました。乃木希典は203高地を「に・れい・さん」の当て字を以て「爾霊山」としました。爾霊山を「爾(汝)の霊をまつる山」と詠んだそうです。203高地で拾い集められた弾丸と砲弾の薬莢を鋳造して作られたそうです。

※203高地へは、駐車場で車を降りて頂上まで歩きます。それほどの距離ではないのですが、これが結構急な坂道で老体にはきつい。以前は駕籠かきがいたのですがいつの間にか無くなりました。

 

▮東鶏冠山北堡塁

東鶏冠山北堡塁(とうけいかんざん きたほるい)

 大連市旅順口区の東鶏冠山(海抜119m)に、帝政ロシアが旅順を租借し防御の為に建設したのが北堡塁であり日露戦争の激戦地です。天然の岩にコンクリートと石、そして泥土で覆って造られた堡塁で、旅順総攻撃の際に北堡塁の攻略が始まりました。側防窖室からの攻撃を受け大損害を被るなど、難航を極めましたが最終的には大量のダイナマイトで堡塁を爆破し日本軍は占領に成功しました。

 「大義凛然」、大義のためには敢然として屈しないことには感服しますが、この堡塁を突破するために日本軍は約8,000人の死者を出しました。今も無数の弾痕が残っていて言葉が出ません。現地に立つと戦争の悲惨さに息をのみます。

 

▮旅順駅

旅順駅

 旅順駅は旅順支線の終着駅。1900年 ロシア人の設計により駅建築を開始、1903年に開業されました。ロシア風の木造建築の駅舎は歴史を感じさせてくれます。残念ながら現在は貨物のみで旅客の取り扱いはありません。

 この旅順駅、すぐそばに旅順軍港があります。駅自体は外国人立ち入り制限区域ではありませんが、近隣には多数の軍関連施設があり、くれぐれも近寄らないように厳重注意です。

 三国志には「智は禍を免るるを貴ぶ」とあります。智慧の重要な働きは禍を免れることにある、というのです。不用意な言動はとんでもない事態を引き起こしかねません。「智」を働かせて禍から遠ざかりましょう。 

 

▮日俄監獄旧跡

 旅順市街地のやや北部に位置する日俄監獄旧跡(「日」は日本、「俄」はロシアの意)。1902年にロシア帝国が建設し、1907年に大日本帝国が拡張した刑務所。1971年7月に「旅顺日俄监狱旧址(旅順日露監獄旧址)」として陳列館となりました。更に1988年、中華人民共和国全国重点文物保護単位に指定されています。

旅順日露監獄旧跡博物館の構内

中国各地にある戦争記念館の同様の展示がされていて、自由に見学はできますが、場所が場所だけに日本人としてはかなり息苦しい雰囲気があります。韓愈が言ったように「窃窃私語」、館内では小声でひそひそ話を。

▮戦跡が数多くある旅順ですが、今では、大連市中心部にあった大連外国語大学や大連医科大学などのキャンパスが移転し旅順にやってきました。大きく変貌している旅順はこれからも発展していく事でしょう。

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