夜の大連中山広場 ライトアップされた近代建築群

 

大連市中山区にある中山広場は直径約210mの円形の広場です。

ここから10本の道が放射状に延びていています。中山広場は帝政ロシアが統治する時期に建設され、当時はニコライェフスカヤ広場と呼ばれていたそうです。

日本統治時代には、中山大広場と改名され、1908年から広場の周辺は続々と10基のルネッサンス様式やゴシック様式などのシンボル的な建築物が建てられました。

大連中山広場同時代の建築建物が集まった場所としては、上海の外灘と並んで大連中山広場が有名です。
それぞれの建物は大連市重点保護建築に指定されています。(大連金融大廈以外)

ここのライトアップされた夜景が見事で、私のお気に入りのスポットです。

 

 

[建物配置]

大連・中山広場の歴史建造物の配置

① 重厚感のあるルネサンス様式 旧朝鮮銀行
② 今もオシャレ感がいっぱい    旧大連民政署
大連金融大廈
④ 一度は泊まってみたい大連賓館 旧ヤマトホテル
⑤ 日本建築の風合いが漂う  旧 大連市役所
⑥ アーチ形の窓がおしゃれ  旧 東洋拓殖大連支店
⑦ 塔屋がフランス風 旧 清国大清銀行
⑧ 重厚なコンサートホール 大連人民文化倶楽部
⑨ ライトアップが最高 旧 横浜正金銀行大連支店
⑩ 昔も今も郵便業務  旧 関東逓信局

 

重厚感のあるルネサンス様式 旧 朝鮮銀行

大連中山広場 旧朝鮮銀行日本統治下で中央銀行としての機能を持っていた朝鮮銀行。その大連支店の業務拡大に伴って1920年に建物を新築しました。

戦後、朝鮮銀行が解散した後も建物は銀行として使用され、現在は中国工商銀行中山広場支行が使用しています。

コリント式の柱が並んだルネサンス様式の建物で、重厚感を感じます。

設計者は中村與資平氏。

延床面積: 5,278m²

↑top

 

 

今もオシャレ感がいっぱい 旧 大連民政署/大連警察署

大連や鎌屋広場旧大連民生署1908年に大連民生署の庁舎として建築されました。日本統治下の大連で最初に建てられた庁舎です。中央に時計塔を持つスタイルはヨーロッパの市庁舎風ゴシック様式の建物です。

1922年より大連警察署の庁舎となり、戦後は大広場警察局と中国海軍後勤部が使用しました。

現在は、遼陽銀行大連分行が入居しています。

設計は前田松韻氏。着工は1907年8月1日。竣工は1908年3月25日。煉瓦造2階建、塔屋付。延床面積約2,000m²。

↑top

 

大連金融大廈

大連金融大夏この場所にもともとあった建物は、1914年に竣工したイギリスの在大連領事館です。

設計はイギリス工務局の上海事務所技師長補佐だったH.アシェッド氏。大広場に面した唯一の在外公館でした。

1952年以降は大連市六一幼稚園(※)が使用していましたが、1995年に取り壊されて、2000年には大連金融大廈として建てられました。(写真)

したがって、この建物は歴史的建物ではありません。また、私が大連に赴任したのは2000年でしたので以前の建物は残念ながら見ていません。

※「六一」とは六月一日のことで、その日は中国の儿童节(児童節=こどもの日)

↑top

 

 

一度は泊まってみたい大連賓館 旧 ヤマトホテル

大連中山広場大連賓館南満州鉄道が経営した高級ホテルチェーンのヤマトホテル。
瀋陽や長春などいくつかあったヤマトホテルの中でも、最も格式の高かったのが大連ヤマトホテルです。

建物正面は花崗岩のイオニア式の柱を並べたルネサンス様式の建物です。

設計は南満州鉄道技師の太田毅氏とする説が有力。

建物内部の廊下など、格調の高い雰囲気が漂っています。
1909年着工、1914年竣工。鉄骨煉瓦造4階建。延床面積は11,376m²とかなり大きな規模です。
ライトアップされた外観は誠にきれいです。

↑top

 

 

日本建築の風合いが漂う 旧 大連市役所

大連中山広場旧大連市役所旧大連市役所の庁舎。玄関の唐破風(からはふ)など日本建築の風合いが取り入れられており、塔屋のデザインは京都祇園祭の山車をイメージしたそうです。

言われてみると門外漢の私にもそれがわかります。

1947年~1950年は大連市人民政府庁舎として使用され、その後は市政府各部局の分庁舎となりました。現在は中国工商銀行大連市分行が使用しています。

設計: 松室重光氏

竣工 : 1919年8月 延床面積 : 9,870m²

↑top

 

 

アーチ形の窓がおしゃれ 旧 東洋拓殖大連支店

大連中山広場旧東洋拓殖東洋拓殖株式会社は植民地事業のための国策会社。その大連支店の建物は、1階にあるアーチ型の窓にはアメリカ商業建築の影響が見られます。戦後の1951年から1957年まで中国共産党大連市委員会庁舎として、その後は市政府の分庁舎として使用されました。現在は交通銀行大連市分行が使用しています。

設計: 宗像主一氏

竣工: 1936年

延床面積 - 8,105m²

↑top

 

 

塔屋がフランス風 旧 清国大清銀行

清国大清銀行大連支店として1910年に建てられたルネサンス様式の建物。中央の塔屋はフランス風のマンサール屋根です。

1912年の中華民国成立に伴い中国銀行へ改称されました。

戦後は大連市教育局庁舎として使用された。現在は中信銀行中山支行(旧・中信実業銀行)が使用しています。

1910年6月竣工。延床面積は1,762m²

↑top

 

 

重厚なコンサートホール 大連人民文化倶楽部

大連人民文化倶楽部第二次世界大戦後、新中国成立の間もない頃、ソ連軍がまだ旅順・大連に駐屯していた時期である1950年に、コンサートホール兼劇場として大連人民文化倶楽部が建設されました。

日本が大連租借中にも映画館・小劇場はあったそうですが、これほど大規模な文化施設は建設されていませんでした。

現在も大連市の主要な文化施設として、内外の演奏家・演劇家に利用されています。私もここで開催された演奏会に何度か行きました。重厚な内装で見ごたえがあります。

設計はソ連。 1995年、2008年の2回にわたる全面改修を経て、現在の収容人員は一階が600席、二階が400席。

↑top

 

 

ライトアップが最高 旧 横浜正金銀行大連支店

当時、日本唯一の外国為替管理銀行だった横浜正金銀行の大連支店として建てられた、3連のバロックドームを持つタイル貼りの建物。基本設計は妻木頼黄氏が行い、満鉄技師の太田毅が実質設計を行いました。

1945年より極東銀行(ソビエト連邦)が使用。現在は中国銀行遼寧省分行が置かれている。

この歴史的建造物をそのまま残し、背後に高層の銀行ビルが建築されています。内部は行き来ができます。

大連賓館と正対しており、中山広場の中でも最もきれいなライトアップではないかと思います。

設計は妻木頼黄氏、太田毅氏。

竣工: 1909年

延床面積: 2,805m²

↑top

 

 

昔も今も郵便業務  旧 関東逓信局

旧 関東逓信局関東州での郵政事業を担当した逓信省関東逓信局の庁舎だった建物。大連市役所の対面に位置します。戦後はソビエト連邦軍大連警備司令部が接収。

現在は大連市郵政局が使用しています。

設計:松室重光氏

竣工:1917年

↑top

スポンサーリンク

Follow me!