大阪から2時間、成田から3時間 ほっとさせてくれる大連の街

 

中国の中にあって上海や北京などの突出した大都市ではなく、
古くからの日本とのゆかりを持った街。

三方が海に面し、緑が緑色をした、どことなく風情のある街。

次に住みたい街、№1の街。

中国ビジネスとしてのスタンダードは大連にあり、と私は思います。

 

 

大連ってどんな街?

大連は遼寧省の遼東半島の南端に位置する重要な港、貿易、工業、観光都市です。

大連市の都市部の人口は約350万人、市エリヤを全部入れた総人口は600万人を超えます。遼寧省では省都の瀋陽市に次ぐ大都市です。

位置的には北緯約39度で、日本の仙台市と同じくらいです。

成田から約3時間、関空からであれば2時間程度ととても近いのです。

 

冬の気候は厳寒ではありません。とはいえ、最高気温が零度という日がひと冬に何回かあります。私が駐在していた頃で、最も寒かったのは最低気温マイナス15度という日がありましたが、これはさすがに寒~い。

夏はさわやかな感じです。四季が比較的はっきりしていて、どこか日本と似ているとても住みやすい街だと思います。

 

日本人にはとても優しい大連

昭和初期には現在の大連駅とその駅前周辺が整備され、道路のアスファルト舗装や、レンガ造りの不燃建築物が立ち並ぶ町並みができあがり、ほぼ現在の形になりました。

 

大連駅

大連駅は鉄道の駅で、瀋陽、長春、北京方面への旅客列車の起点です。南口にある駅舎は、日本の統治時代の1937年(昭和12年)に建築されました。上野駅がモデルになっています。設計者は旧南満州鉄道の太田宗太郎さんだそうです。2階が出発、1階が到着と空港のような造りで、二階に巨大な待合室があります。瀋陽へ出張するときに、毎月のように利用していました。当時は特急で瀋陽まで約4時間もかかったのですが、2012年12月に新幹線型の高速鉄道が開通し、約2時間に短縮されずいぶん便利になったようです。駅前の喧騒は早朝から深夜まで絶えません。    (写真は2013年5月撮影)

 

1951年に中華人民共和国に返還され、その後1990年代の改革開放経済のもと、中国東北部の中でも特に目覚しい経済的発展を遂げています。

そのうち、2000年から2012年末の間、私は大連にいたことになります。

大連市街地の高層ビル群

大連市街地の労働公園からどこを見ても高層ビルが立ち並んでいます。空は大連ブルー。(2017年5月撮影)

 

街のそこここに満州時代の建物が残っていて歴史を感じます。

旧大連市役所

旧大連市役所の庁舎。
1947年~1950年は大連市人民政府庁舎として使用され、現在は中国工商銀行大連市分行が使用しています。  (2015年9月撮影)

 

また行きたくなる大連

また大連の街の規模は程よい大きさで、上海や北京のような巨大都市ではありません。出張や一時帰国から大連に戻った時、何かほっとしたことをよく覚えています。規模は大きくなくても、中国ではトップクラスの、よく熟れ洗練された街であると思います。

 

そんな大連ですが、転勤で初めて訪れた時はさすがに楽観的な私もドキドキしていました。

しかし、いざ住んでみると、街の大きさや、そこに住んでいる人々の考え方など、私にはぴったりとはまった街、と思えるようになり、最初のドキドキした不安は杞憂に終わりました。

 

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杞人忧天 / 杞憂

◆中国語:杞人忧天

◆中国語発音:[ qǐ rén yōu tiān ]

◆日本語表記:杞人憂天

◆出典:列子

◆意味:杞の国の人が、天が落ちてきたらどうしようと毎日心配し、ご飯も食べられず夜も眠れなかったという故事。余計な心配、取り越し苦労をするとの意。

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