旅順 日露戦争の戦跡を訪ねて

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大連市内から約45キロ、遼東半島の突端部に位置する旅順。

会社の営業所があったこともあり、幾度となく訪れた旅順ですが、日露戦争の戦跡がたくさん残されていて、今もって100余年の歴史を感じる街です。

天然の良港である旅順港は軍港として知られ、そのため、かつては外国人の立ち入りが制限されている場所が多くありました。 軍事禁区以外が外国人に開放されたのは2009年のことです。
私が大連に駐在していた12年半の間に、旅順は見違えるほど大きく発展し、市街地も整備された街並みになりました。私にとっても思い出の街です。

 

 

 白玉山から旅順港を望む                                                

白玉山の山頂から眼下の旅順港を見た写真。閉塞作戦の現場です。

白玉山の山頂から眼下の旅順港を見た写真。閉塞作戦の現場です。(2017年5月14日撮影)

1904年(明治37年)2月に勃発した日露戦争において、古い艦船を湾口に沈め、旅順港の入り口を閉塞する海上封鎖作戦(閉塞作戦)で、ロシア艦隊(当時)を湾内に閉じ込めようとしたそうです。(いわゆる旅順港閉塞作戦)

 

写真は、白玉山から見た旅順港。約70メートルの港口が閉塞作戦の対象となった場所です。

これを見ると作戦を立案したことがうなずけます。(結果として作戦はうまく行かなかったようです)

※旅順港閉塞作戦についてはWikipediaなどにに詳しく掲載されています。

 

 

 

 

 白玉山の山頂に立つ白玉塔                           

白玉山の山頂に立つ白玉塔。旅順港を背にして見上げた白玉塔です。

白玉山の山頂に立つ白玉塔。旅順港を背にして見上げた白玉塔です。(2017年5月14日撮影)

高さ130メートルの白玉山。その山頂に「白玉山塔」が立っています。1909年、東郷平八郎と乃木希典の提案で建てられ、塔の基底部には乃木の故郷である山口県から運んできた花崗岩が使われています。

元々は「表忠塔」と呼ばれ、日露戦争の戦死者を慰霊し、遺骨を納めていたそうです。

 

 

 

 

 日露戦争の主戦場・203高地                                                                                             

203高地の頂上から、少し霞んで見える旅順港を臨んでいます。

203高地の頂上から、少し霞んで見える旅順港を臨んでいます。(2017年5月14日撮影)

旅順市街地から約2キロのところにある小高い丘陵が203高地です。そこからは旅順港が臨むことが出来ます。

1904年に始まった日露戦争で、旅順港を巡る日露激戦の主戦場となった場所です。

 

駐車場で車を降りて、頂上まで歩くのですが、これが結構急な坂道で老体にはきつい。やっとの思いで頂上に着いたら、以前にはあった売店が撤去され飲み物も買えないありさま。そういえば駐車場の横にあった売店もなくなっていました。(2017年5月の情報です。)

 

 旅順日露監獄旧跡博物館                                     

1902年にロシア帝国により建設され、1907年に大日本帝国が拡張、1920年に「関東庁監獄」、その後「関東刑務所」、「旅順刑務所」と呼ばれた。

1945年ソ連軍が旅順に入った後解体されたが、1971年7月に再建され、「旅順日露監獄旧址(旅顺日俄监狱旧址)」として戦争陳列館となった。

「日」は日本、「俄」はロシア。(ロシアの中国名「俄罗斯」)

中国各地にある戦争記念館の同様の展示がされています。大声でなくても日本語を話すのがはばかれる場所です。機会があれば一度訪ねてみてはいかがでしょうか。

旅順日露監獄旧跡博物館の構内

 

 旅順駅(旅顺火车站)                                        

旅順駅

中国大連市旅順口区にある鉄道旅順支線の終着駅。

1903年開業、旅順軍港のすぐそばにある、ロシア風の木造建築の駅で郷愁を感じさせてくれます。

当駅近辺は、旅順の旧市街地であり、他にも多くの歴史的建造物が所在する。

旅順駅は2009年6月、外国人立入制限区域ではなくなったが、旅順軍港に隣接することから近隣に多数の軍関連施設が所在するため、不用意な行動は控えた方がよいと思われます。

 

 

 東鶏冠山北堡塁                                                                    

東鶏冠山北堡塁(とうけいかんざん きたほるい)

(とうけいかんざん きたほるい、东鸡冠山北堡垒)

大連市旅順口区の東鶏冠山(海抜119m)に、帝政ロシアが旅順を租借し、防御の為に建設した堡塁であり、日露戦争の激戦地である。

天然の岩にコンクリートと石、そして泥土で覆って造られています。

激戦によって最終的には日本軍がこの堡塁を占領したが、約8000人もの死者を出したと言われています。

今も無数の弾痕が残っていて言葉をのんでしまいます。

 

 

 

 

 自他共の精神                                            

「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。」とわが師は叫びました。

日露戦争から既に110余年、地球上ではいまだに戦争や紛争が絶えません。その解決の糸口はやはり「自他共の精神」にあるのではないでしょうか。

何とかファーストとか覇権主義ではないと私は思います。ここ、旅順はそのことを訴えているように思えてなりません。

名もなき一市民として世界の平和を祈るばかりです。

 

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